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極端だとしても

自分が人間として唯一分かってることと言えば確実に死に向かってることぐらい。この世に生まれたものは必ず死ぬ運命なのである。それが遅かれ早かれという話。「死」というものがいつもそばにないので実感できない。それに「死」というものが最大の恐怖であるが故に、その事実から目をそむけている。

今ここでだ、金云々関係ないし自分のやりたいと思ったことをやる。それでまあ何とか生きていけそうなら生きる。駄目だったら死ぬ。結構極端な考えだけれども在りと言えばありなんじゃないかと思う。
辛い思いをしてまで生きることに魅力を感じない。むしろそれこそ惨めなんじゃないのかな。そこまでして生きることに執着は湧かないし、むしろやりきった感を感じられるんじゃないのかと思ったりする。
長生きしたくない人間にとっては、自分の生きる時間を定めて、その限られた時間内を精一杯生きるほうがだらだら生きるよりもはるかに充実した人生だったと思えるんじゃないのかな。

長生きすることが必ずしもいいことだとは僕は思わない。人生いつもいいことばかりではないので精神的苦痛画常伴う。体も衰え、病気にかかれば肉体的苦痛も伴ってくる。
以前から「長生きし気したくないと」と何回も書いている。くっちゃくちゃになって、病院のベッドの上に寝かされ、点滴だのなんだの管を繋がれ、無理に延命させられ苦しみながら最後死んで行くなんてとても嫌だ。安らかな死を迎えられる人なんてほとんどいないんじゃないと思ってる。あんなのドラマの世界の話だ。現実は、凄い形相で死んで行く人が多いと何度聞かされたことか。
ばあちゃんの死ぬ数十分前に病室に行ったけれども、そこには僕の知っているばあちゃんの面影はなく、くっちゃくちゃな顔になって呼吸も荒く、非常に苦しそうなばあちゃんの姿があった。ああ、人間こうなってしまうものなのかと。母親の時も僕は死に目に会えなかったのだが、親父曰く、「白目を向いた状態ですごかった」と。生きるとか死ぬとかて何なんだろうな。
そして生きるということは金がかかる。仮にだ、定年の65歳を迎え、80歳まで生きたとする。その間15年分賄えるだけの貯蓄はあるだろうか。年金なんてはっきり言ってあてにならない。これは今の老人達を基準に考えてはいけない。今の老人達は裕福な人が多いから何とかなっている。僕たちは今の老人達が受けるだけの恩恵を受られるとは思わない方がいい。何が起こるか分からないから、いざという時お金が必要なのだ。常にお金との不安を抱きながら生きて行くのは僕は嫌だ。

肌もまだ張りが残ってる、綺麗なうちにぽっくり逝きたい、これが僕の望みだ。
若い人で結構こういうあっさりした考えの人っているんじゃないのかなあ。実行するかしないかは別としてね。

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