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20代の折り返し地点で思うこと

ワタミ 「25歳までに頑張れなかった人は人生取り返しがつかない」

今までストレートに生きてきた人間、とんとん拍子に人生進んでいる人間からしたら僕という存在は異端児だと思う。引きこもり(留年)、就職失敗、転職。彼らは僕を笑うだろうか。下の世代からしたら「だせー」とか「こんな人になりたくないな」そう思われるかもしれない。
25歳。その数字が大きくのしかかる。正直思いは複雑。高校を卒業して早7年。同じ工業高校を卒業して、すぐ就職して行った友人たちはすでに6年目のキャリアを積み、今年で7年目となる。大学をストレートに卒業して働いていれば今年で3年目。大学院卒ならば今年から。これから徐々にキャリアを積み上げていくことだろう。僕はこの歳になり、そこまで働いたという実績はない。ましてやこの歳で違う職業、そのための学生になろうとしている。どう見ても普通の人(先に書いた人たち)たちからしたら異端児だ。
それでもいい。この先の事を思えば今の状況からしたらそれが自分にとっての最善策だと思ったから。親戚や昔から僕を知っている大人たちは心配してくれている。でも心配しなくても、どうなっても僕の人生だ。たとえ死んでしまったとしても。
もし自分が15歳の中3であれば仮に大学まで行き、働くまで残り7年、18歳の高3であれば4年もある。色々考える時間、猶予はあるのだ。早くからその道を志しているならばそれに越したことはないと思う。金がある家ならば本人の頑張り次第でいくらでも投資してもらえる。金がなければそれすらできない。そこはいたしかたない事。
今文通をしている相手の一人に15歳の子がいる。その子は医者になろうという高い目標があると言っていた。年の割にしっかりと文面でこちらが驚いたほど、もしも僕が同じ年だったらこんな文章は書けないだろう。志した高く、しっかりとした人間もいるのだ。年齢は関係ない。僕もその頃やりたい仕事があったな。でも現実は違ったけど。

大人たちはやりたい仕事、なりたい職業を探せとせかす。そんなもの分かるわけがない。この歳になってもそんなものよくわからない。ましてや10代の人間に言ったところで。自分の経験、そして小さな脳味噌を振り絞ってもそんなもの分からない。そして考えなんて成長するたびに変わる。自分を取り巻く環境や経験で変わる。昔描いていた夢はどんだけ浅はかであったか、いつかは現実という壁に打ち砕かれる。
「あの有名な企業に行きたーい」そう思うのは勝手だ。そう願ったところで容姿、学歴、コネ、ましてや何万といる学生と勝負しなければいけない。その中で選ばれた一部の人間が笑っていられるのだ。凡人、そう言う人のほうが圧倒的に多い。採用試験に落ちたなんてどうってことない。それで人生決まるならばそんな滑稽話はないと思う。失敗したら次の道を探せ、ただそれだけのこと。
大企業に受かる方法を模索している暇があるならば、今後どういう生き方をしていきたいのか考えたほうがそっちのほうが大事だと僕は思う。

25歳にもなると仕事のことや、もっと先のこと、そう結婚のことを意識するはずだ。すでに結婚した友人もいるわけで、昔好きだった子もいずれ結婚するんだろう。周りが大人の階段を順調に登っていく中で僕はまた一からやり直す。みじめなきもち?そりゃそうかもしれない。でも周りはそこまで僕の人生など気にしてはいない。多少心配はしてくれるだろうけども。
まとまりのない文章だけれども、どこかで躓いたりくじけたりそんな人間がいたら、僕の様なクソでも何とか生きているということで元気を出してもらえたらと思う。肩書きなんて所詮「肩書き」なんだから。あなたは「あなた」なのです。酒を飲むとよつい感情的な文章になってしまうのだが、まあ僕の様な20代半ばの人間でも別に今までどおりの、親たち世代から引き継いでいる所謂「昭和的価値観を」脱却してもいいと思うのです。ストレートに生きなくたっていい、躓いたっていい、遠回りしたっていい。そこに批判などあろうものならその人はそれだけの狭い価値観でしか生きていないつまらない人間だと僕は思うのです。自己正当化かもしれないけど、みんな似通った、一つの道がよいとされている日本で、いろんな道・いろんな生き方があったって言いと思うのですよ。多様性というのだろうか。悪いことをしているわけでもあるまいし。最終的にはその人が幸せになればいいのですから。
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