休息

昨日から体調が悪かった為、会社を休ませてもらった。まあ初めての事だったし申し訳ないなと思いつつ、でも「まあいいか」と。土日じゃなくてよかったと思えばいい。まあ僕がいなくても会社は回るものだけどいないと困るのも事実。

明日から6月になる。ホント時間が立つのが早いもんだ。
ただ時間が過ぎていくだけで悲しくなしくなってくる。
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苛立ち

失望というか苛立ちを隠せない。僕は営業職でも営業職で採用されたわけでも何でもないし、何でそもそも営業みたいなことをさせられているのか。なのであーだこーだ言われても知らねーよと。なんで僕がこんなところまでやらなきゃいけないのかと。
やればやるほど自分の首を絞めていくだけで、自分が動けば動くほど「あいつがやってくれるから」と周りは動かなくなる。
何でも屋さん、便利屋さん。うまく使われるポジションにいることが否めない。会社の利益なんてどうでもいい。

環境も変わらず丸2年が過ぎ、やっぱり何も変わらず変わる気配もなく。前回受けた会社に落ちたって言ったからって、「諦めついたのでこの会社で頑張ります」なんてことは一言も言っていないし、辞められたら困るならいっそ困ればいい。じゃないと変わらないかと。
まあ僕はもうやる気が全くないわけですし、社長が会社に来たらはっきり言おう。これからも転職活動は続けるし、条件出されても残る意思もないし、次が決まったら辞めますと。良い求人よ出てくれ。

あの時

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最近休みの日はよくバッティングセンターに通っている。守備は嫌いだがやっぱりバッティングは大好きだ。現役の時と比べたら感覚は衰えているだろうし、おなかの肉が邪魔をするけどけれどもまだまだ振れる。自分のイメージしているスイングと動画で見るスイングはやっぱり乖離があって、どうしてもイメージに近づけないのが悔しい。硬式と軟式の感覚は明らかに違うのだが、フライとファールチップが多い当たり未だに硬式打ってる感覚なんだと思う。軟式は「「打つ」というより「当てる」感覚のほうがは素直に飛んでいく。残念ながら浜松にも豊橋も軟式しかないのが残念。隣でいいスイングしている若者を見ると無意識に競いたくなってしまう。

小学生の頃は学校終わってすぐグラウンドに集合してみんなで野球をしていた。あのころを振り返ると非常に楽しかったと思う。中学の時も嫌なこともあったけどやっぱり楽しかった。
正直高校入って野球が正直楽しくなかった。怒られるわ理不尽だわ・・・。そして正直試合に出たくなかった。自分の下手さが露になるからだ。キャッチャーはもう無理だと思ってポジション変更を申し出たが受け入れてもらえなかった。見切りつけておけばよかったが惰性で続けてしまったようなもの。あの時にすっぱりやめていればよかったかなと思うがそんな勇気はなかった。野球は好きだが部活としてやるのは嫌いだ。3年間も続けたなんてすごいといわれることはあるが、犠牲にしたものが多すぎるし、結局何も残らなかったと思う。

なんというか純粋に楽しいなあと思えるような感覚ってもう戻らぬものなのかな。無いものねだりか、僕は楽しかったころの思い出をバッティングセンターに求めてしまっているのかも知れない。小学校の時のメンバーでまた野球がやりたいなあとふと思う。

スマホデビュー

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30歳にしてようやくスマホデビューをした。大学生の頃(2011年ごろ)には周りはほぼスマホだった。「高くてやってらんねーよ!」と働きだしてから、最低限電話とメールだけできればいいと安さに惚れ込み込み、時代の波に逆らうPHSを使い早6年。毎月3000円以下でお財布には優しかったが、場所によっては電波が届かなくて非常に困っていた。特に今の職場。田舎にあるので繋がらず、バッテリーの消耗がすさまじく早く上、ほぼ仕事の日は家に置いてあったので携帯の意味を全くなしていなかった。
社用携帯はあるが、プライベートで「さすがに何か必要となった時困ると思い思い切って今回購入を決意ようやく時代の流れに乗った感じ。でも家ではパソコン使うし、かといってメールも電話もほぼほぼしないのでどうなのかとおも思う。
大手キャリアは高いし(高いなりの理由があるだろうが)、WIMAXも契約しているし、格安SIMで十分かなと思いIIJmioと契約。どうしてもタフネス携帯がほしかったのと、出たばかりでIIJmioが安く販売してたのでCATに決めた。実際使っていくうちにどんなものか分かっていくだろうが、現段階正直使い方がいまいちよくわからない。今使っているタブレットに比べればサクサク動く感じ。

ドコモの携帯電話の歩みを眺めている。。高1(2004年ごろ)、初めて持った携帯ががN2102Vの青。今見ると懐かしくて涙が出そうだ(淡い思い出まで蘇っててきそう)
結局その数年後にはスマホが出たわけで、ここまで形態も進化するなんて当時思わなかった。いや、技術革新のすごさもそうだが、自分が歳を取ってしまったことにも驚いている。

それは一瞬

人間関係というものは面白いもので、ほんの些細なことがきっかけで、それまでのことが嘘だったかのように一瞬にして崩れ落ちる。目には見えないものだけど、やっぱり脆いもの。そこは所詮他人だと改めて思い知らされた。
悪化したとまではいかずとも、昨日まであんあだけバカ言いあってたあの感じには戻れるのだろうかなと。

人間一人一人性格や気質が違う。行動の欠点なんて指摘すれば修正できるだろうが、自分の中の根本的なもの、体に染み込んでる性格や気質を指指摘された場合、努力で克服できるものなのだろうか。
例えば短気で感情のコントロールができないい人がいたとして、それについて指摘したとする。僕は自分で自分で言うのもなんだが許容範囲は広いと思っている。明らかに敵意と感じた時や許せない時(理不尽を感じた時)には声を荒らげるけど、基本激怒はしないし気になることは角が立たないように注意はする様にしている。でも人によって許容範囲や沸点が違う。許容範囲が狭い人はおそらく短気なんだと思うが、育ってきた環境や生まれ持ったものが違うのだからそれって意識や努力で治るものだろうか。ましてや大人。人格形成がすでに終わっている。だから相手に変わるることを期待したり強いたりするのは酷なことなんじゃないかとふと思う。僕が逆の立場でもそうだろう。変われって言われても短期的に意識はできても長期的には無理だと思う。

そう考えると期待したり強いるのは最善の策ではないのかもしれない。。
人間だから100%シンクロすることはないのだろうけれども、性格、気質が違う人間とはどうしても摩擦が生まれ衝突しやすいのも事実。家族・恋人・・友人・職場の人間などどれをとってもそうだろう。完璧な人間などいない。だが、長く関係を続けていきたい人間がいるならば、最初から同じ気質の人間を探すという方が合理的なのだろうと思う。その方が双方にとってなのかもしれない。

と思いました。とはいっても簡単にはいかないしそう割り切れるものでもないけどね。

30歳



数年前からそわそわしていたけどようやくこの日を迎えた。ちょうど今日で30歳、三十路である。
今日から履歴書に「30歳」と書かなければいけないのはちょっと気が重い。さすがに「2」と「3」の違いは重いと思し、年齢で与える印象はだいぶ違ってくるだろうに。
30歳で死ぬなんて言っていたけど結局生きているし、30歳まで生きれればもう十分と本気で思っていたと思う。歳をとってボロボロになって死んでいくより、まだ元気で若いうちに死んだほうがいいかなという部分は心のどこかにあるのだが、自ら死ぬ勇気も、死ぬ理由も今はない。今は自然に身を任せる。
なんというかやっぱり死を常に意識して生きるべきだと思う。そしていつ死んでもいい様に、自分のできる範囲(能力的にも金銭的にも)でやりたいことはやっておくべきだなあって。これは一度整理すべきだ。

それとふと思った奨学金。残り約200万弱。このまま毎月ちびちび返済するらなら返還修了が42歳。そふとその時まで生きているのかどうかわからないので、とっととまとめて返すべきか。本来ならば卒業してからずっとい働き続けていればすでに返し終わっているほどの貯金があったはずだ。現状でも本来の予定ならそれぐらい貯金できていたはずだけど、ここ半年以上全く貯金が増えておらず、むしろ減っている。でもボーナスをあと2回もらう頃には返せるだろうか。利子がないだけいいのだが、このままちびちびと返していくのもいいが、急に死んでしまたら姉に迷惑がかかってしまうなあとふと思った。でも一括返済だと貯金が一気になくなるので何かあったら怖いよなあ・・・

20代を振り返る

まだまだ子供だった20歳のあの頃。長かったようでとにかくあっという間だった20代。僕にとってのこの10年間は楽しいことも事も当然あったが、総じて苦しかった。「選択」を迫られた、その連続だったと思う。

学生の頃、兎に角自分に自信が無かった。友達が多いわけでもなく、彼女がいたわけでもなく、何か秀でたものもない。周りを見渡せば同世代がたくさんいる中で、卑屈な思いを感じつつ、それが知らないうちに肥大化し自分を追いつめていたと思う。「何かすごい人間にならなければならない」そういう歪んだ思いがどこかあり、今思えばアホらしいがコンプレックスの塊だった。どこか「自分」というものを認めてほしかったのかもしれない。安心できるものがほしかったと思う。部活やバイトを続けていったらどうなっていたのかな。
21歳の5月のちょうど今頃。異常なまでに孤独感を感じ、さらに就職へのプレッシャー、勉強も難しくなり頭に入ってこない。結局変に色々なものを溜め込みすぎて、もう臨界点を迎えた時に全てを投げ出して引きこもってしまった。それまで生きてきた中で最大級の挫折で、全て中途半端にしてきたし、もう戻れないと思ったので正直死にたいと思っていた。結局死ぬことなんてできず、時間が解決してくれたのだが、無駄な10か月ほどを過ごした。その反動のせいか、後の2年は楽しかったと思う。

そして就職。今思えば素直に大学に来ていた求人票から選べばよかっと思っている。それで確実に受かっていたかといえばわからないが。自分が何を仕事として生きていきたかったのかわからなかった。学部卒だし、大企業(メーカー)の技術職は厳しいし、工事系の会社に入っても施工管理はやりたくなかった。最初から諦めと無理なもの線引きをして無駄な労力をかけないために絞りこんでいたと思う。当然その時点でチャンスも潰していたと思うが。だから受けた会社自体も少なかった。
いいところまで進んでいた鉄道会社に期待をしていたのだが落ちた瞬間一気に力が抜けたと思う。言い訳といえば丁度震災があって採用時期の大幅な遅れや採用見送りが実際があり、就職率が悪かった。
その後興味のあった事(全く関係のない分野の仕事)に目を向け、会社に片っ端から採用があるかアポを取り、就職は決まった。
23歳で卒業、そして福岡へ行った。が、失敗だった。その後東京で1年働き25歳の夏、地元へ帰り、看護師になろうかと看護学校受験をした。地元に職が無さ過ぎたからだ。合格をしたものの、考え直して蹴り民間就職に切り替え。就活長期化。1年後に26歳の冬再就職を果たすが、3か月で辞めた。そして27歳の秋に今の職場にたどり着いた。

やっぱり素直に専攻に関係した仕事を選択すべきだったと後悔。「選択」の重要性を痛いほど痛感している。もしかしたらもっとマシな、違う人生があったのかもしれない。
行き当たりばったり、一貫性がなくさらには穴の開のあいた職歴、労働者生活のスタートから失敗した結果。20代という貴重時期を無駄にしたかもしれない。でも自分がその時選択した結果。自分なりに悩んだ。当然甘えもあった。だが、それを素直に受け入れなくてはいけない。でも納得してない。納得して無いから今だ転職を目指してるのだと。ワガママなんだろうと思う。

諦めたこと、諦めなければいけないこと、現実を突きつけられるたびいっぱいあったと思う。それそれ含め人生だし、向き合っていくしかないけど…。そして楽しかったあの時間ももう戻って来ないと思うと寂しい。サラバ若き日々。
いつまでも若くなんていられないから・・・さらば20代!明日から30歳。なんて雑な締め方。書きたいこと書けていたかわからんけど。

GW修了

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お客さんからいただいたアカムツ。今夜の夕飯に煮つけにしたがやっぱり高級魚だけあってうまい。でも改めて煮つけって難しい。自分の好みの味になかなかできないのである。特訓あるのみか。

さてようやくGWが終わったが、なんというか今年は妙にパッとしなかったと思う。一様一山超えたかなと思いつつも、今月もなんだかんだ週末はイベントが入っていたり、夏に向けていよいよ忙しくなっていくんだろうなって。
仕事だから仕方ないと思うのだが、やっぱり大型連休があって、楽しんでいる人たちを見るとうらやましいなと思ってしまうのが本音。
世は明日から仕事だろうが、僕は明日から休み。有休もとったので3連休だ。地元へ戻ろうかと思っていたけど天気が悪いし、おとなしくして様かしら。今後の予定も整理しつつ、体を休めたい。
それにしてもまだ夏前なのに皮膚がだいぶ焼けた。顔が赤なのか黒いのかわからない・・・

3年目

今年のGWは天候が悪いせいか、客もそこまで来ない。思っていたよりも楽ではあるが、やっぱり疲労で体ががしんどくなっている。明日は6時半か・・・。あと1日を乗り切れば休み。

そしてようやく5月突入。いよいよ30歳の大台まで1週間を切ってしまった。あんなに焦っていたのに、いざすぐそこまで誕生日が迫ってくるともうどうでもいいと思っている自分がいる。でも履歴書に30歳と書くとは嫌なのだが。
それとちょうど異動してから2年が経過し、3年目を迎えた。来た比べたらだいぶ動けるようになったし、お客さんともしゃべれるようになったが、職務内容的には全く変化せず。スキル・・・何が身についただろうか。石の上にも三年なんていうが、そんなものクソくらえだと思う。転職活動は続ける。働く上でで何かしら我慢はつきものだが、譲れない部分もある。転職を所長と社長に匂わせている分僕にとってまだ有利だろう。
地元に戻りたいというのは以前から変わらないのだが、決して地元の事業所に戻って働きたいとは思っていない。金銭的なことを考えれば当初通り空き家になっている実家にまた暮らすのが一番なのだが、近ければ別に実家に戻らなくてもいいかなとも思ったりする。
何が最善の答えで、どうあれば自分が納得するか。この年になっても正直分からないのだが、それもまた人生か。