ひとり

2日ほど前から左脇腹が痛い。昨日買い物してる最中に咳がしたら急にピキッ!と何かが切れたような痛みが走る。咳のし過ぎで肋骨が疲労骨折することがあるそうだが、まさかヒビでも入っていないだろか。。神経痛ならいいのだが、咳する度に痛いんだけど。

さて、姉夫婦が新居に越しので今日から一人暮らし再開。家の中はだいぶ静かになったが、気を使うことなくなったと思うとだいぶ気が楽である。会社の人に「一人で住んで寂しくないの?」って言われたけど逆になんで寂しいのかわからん。1Rのブタ箱部屋に住んでた事を思い出せば、1人で広い空間を使えるのだから最高だと思う。ただ家の管理が大変なのと、後空き巣やら強盗が入らないことを願うばかり。
改めて思う、10年もあればいろんなことが恐ろしく変わってしまうんだなと。皆死んでしまうのだから家の中も死んだように静かになる。賑やかだった昔がウソのよう。そう思うと年をとったんだと改めて感じる。いずれにせよ、僕が死んだ後はここもまた静かになるんだろうね。
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長引く風邪

未だに風邪が治らない。今日違う病院に行ってみたらたんまりと薬出されたのだが、やっぱり診てもらう所によって処方される薬もぜんぜん違うもんだなあと改めて実感。診察なんて1、2分で終わるし、ホント処方箋もらうためだけに診察料払ってるようなもんで、何だかもったいないなと思う。鼻づまりがひどくて一時食べ物の味がわからなかったのが辛かったが、今日は大丈夫な模様。

午後、ずっとボーッとしてたけどやっぱりだるい。なんだろか、どこからか湧き出てくるのかしらないが先の見えぬ不安が拭えないな。仕事の事とか、社会の変化(悪い意味で)とか。仕事失っても貯金があれば一時的になんとかなるだろうがそれが長期化したら・・・。万が一金銭的に困窮したらどうしようとか。今は仕事があり生活ができてるから良いから目を背けてるが・・・。
中流層ってなんだったんだろう。その中流にもなれない下流層、悲しいがそれが現実だろう。隣では輝く世界で踊っている人達がいるのも事実。そんなキラキラとした輝かしい人生なんてものは初めから遠い世界の事だっただろう。でも今よりもう少しだけマシな人生は歩めたのかもしれない。どこで間違っちゃったのかなって思っても仕方ないけど。繰り返される単調で淡々した日々をひたすら生きるしか無い。悲しいな。
体調が悪くなると気持ちまで沈むので早く治ってくんないかね。

夜は長い

39℃の高熱があったが解熱剤使ってゲホゲホ言いながらも会社に出勤した結果www

今日は折角の休みだったのに昨日から体調が悪い為に病院へ。上司がインフルになって思いの外早く職場復帰した上に朝つけていたはずのマスクを途中から外してゲホゲホと。こりゃやべぇなと思いながら、インフルにまた感染したかとビクビクしてたけど熱もそんな無いしどうやらただの風邪のようで助かったとさ。ビタミンが不足してるのか、免疫がかなり弱っているのか。
ふと、もし大病患ったり事故でもして動けない(働けない)体になった時の事が頭にちらっと浮かんだのだが本当にそうなったらどうすればいいんだろうかね。誰も頼れないし、自然と死ぬまで待つのも地獄だし、冗談抜きで自殺するしか無いんだろうか。

だるいだるい。夜は長いな。

感じる


100年に1人の歌声とか当時言われてたけど、中学生の頃じゃ何が良いのかがやっぱりわからんかった。が、この歳になってワダツミの木というか元ちとせの良さがわかった気がする。

最近仕事やお金のことばかりに気が行ってしまって何か本質を見失っている様な。考えないのは全く良くないが、考えだしたら深みにはまっていくだけだしキリが無いという事実。気持ちが正に転ぶか負に転ぶかその時次第だけど、でもネガティブな気持ちに支配されてるのはしんどいし、楽しい事考えようと(無理にでも)。余裕が無いと自分にとって何が大事か見失いがちになっちゃうから。貯金が殆どできてないのがネックだけど、とりあえず生活はできてるわけだし。欲をなくそう。

とりあえず空眺めて綺麗だなと思えればよし。風を感じられればよし。今の時期海からの風が大変強いので感じるどころじゃないけど。
悟りの境地にたったようなそれほど気持ちが穏やかになった瞬間にだけ、何ていうか自然を感じられるようになる。頭で感じるのではなくて自然と一体なったような不思議で何とも言えない感覚なんのだが。とりあえず嫌なことはビール飲んで忘れよ。

バレンティン・キッス

バレンタインとヤクルトのバレンティン。似てるけど何かが違う。
中学の頃、好きな子かチョコ貰えるかとちょこっと期待してたけど、願いむなしく何も起きず。でも仲よかった女の子達から義理チョコはいくつかもらえてました。今となっては義理チョコすらもらえません。

昔きのこの山のキットが売られていてよく作ってたけど、今でも売られてんのかな?ただチョコを溶かして型に入れてスナックさして固めるってだけの話だけど、ワクワク感があった。若干の割高感はお楽しみ提供料だろう。
効率を求められる時代。仕事はそれで良いんだけど、日常生活すら効率を求めてしまったら何も楽しめない。不憫なことだとか一見面倒くさそうな原始的な事こそ、そこに楽しみがあると思う。なんていうか「手間」を楽しめなくなったらおわこんな気がする。

リミット

そう言えば気づいたこと。
親戚に会う時今までは「彼女は?」だったが、今回「結婚は?」と聞かれるようになった。知らないうちに親戚の兄ちゃんも結婚して、今や親戚の半分以上はすでに結婚している状態。ああ、もうそう言われるようになったのかと。本当は「結婚できそうにない」と真面目に言いたいのだが「いやー全然」と適当に調子を合わせる。で、まだ未婚の姉ちゃんと少し話した時、「男はまだこれからだよ。女は賞味期限があるから・・・・」とちょっと切なそうな感じだった。多分相当気にしているんだろうか、とりあえず苦笑いするしか無かったのだが・・・。でもまあまだ30前半だからまだ大丈夫でしょと思うけどね。
「女は賞味期限があるから・・・」というが正確に言えば「若さには賞味期限がある」、それは男も同じ。でも男と女じゃその意味合いが違ってくるだろうし、出産のこともあるから焦る気持ちは男以上だろう。正直に男だから男の目線でしかわからない。
若いって何歳ぐらいまでなんだろうね。30前半ぐらいならまだ若いと思うけど、流石に男女とも30半ばになるともうそれなりに若いとは思えない。男も30半ばまでがそろそろ限界だと思っている。男だって女だって出来れば若いほうが良いでしょって素直に思うだろうし、実際自分もそう思うし。理想がよほど高いとか、見た目がよほど・・・・じゃなければ結婚する気に成れば大体の人が出来るんじゃないかと思うけど、実際はそうでもないのか。「何歳でも出来る人は出来て、出来ない人はできない」、極論で言えばこれに尽きるのだが、そう思うとビッグダディ凄すぎだろと。

僕も人事じゃないし、結婚しようと思えば出来る様な選択肢のある人間ではない。このまま行けば生涯独身だろう。
ただ結婚すれば幸せになれるわけではないし、むしろそこから「忍耐」の始まりだし。相手次第でもあるし自分次第でもある。結婚して共働きすればだいぶ生活も楽になるからした方がいいと思うのは確かだと思う。子供は欲しいとはあまり思わないけど。独身なら独身でも別にいいのだけど、別に強がってるわけではない(ちょこっと強がってる)。問題は大病患った時と死後の処理をどうするか。かなり切実な悩みだと思う。

「焦ってもしょうがない」というのはそうだけど、それは単なる気休めである。誰だって若くいられる時間には限りがあるし、結婚したいならば男女とも急がないとリミットがあるというのもまた事実だろう。残念ながら年齢、容姿ともに大事だと思う。気づいた時には「もう遅いです」とならないようにしたいもので。正直焦りはあるが、無理ならそれでも良いやと開き直ってもいる。ちなみに実年齢と見た目は必ず一致するとは思えないのだが、ただ「手」だけは素直で歳相応に表れる思ってる。
出会いをどこで見つけるかだな。ちんぽっぽ

再開

久しぶりに手紙を書いた。2,3年前からしばらく文通をしていた。何人かとしていたが結局続かず、こちらからストップしたものもあれば相手から音信不通になったものも。唯一、一番最初からやり取りしていた人とだけが結局続いていたが、それも丁度1年前のこと。僕で止めてしまってて、書こう書こうと思って後回しにし、その直後就職し、病んであーだこーだで丸1年がたってしまった。もう向こうは止めたものだと思っているに違いないだろうが。返事が来たらラッキーぐらい思うべきだろうか。

再開にともなってもう一人新しい人と文通をすることにもなった。お互い自分のペースでとは言え、果たして続くだろうか。今まで堅苦しい表現を使っていたかもしれないので、もっとシンプルにもう少しラフな感じで書こうかしら。話の内容がつまらいのなら仕方ないが・・・。不特定多数に向けて書くブログと違って、明確な相手にだけ書く文章というものはやっぱり簡単なようで難しい。ましてや知らない人間同士。文章のみでどれだけ相手に伝えられるか伝わるか。相手の背景も感情だってニュアンスだってわからないんだし、でもその不確かさを楽しむものなんだろうね。

なんて言えば

あれはいつのことやら。家族の死と記憶がだんだん遠のいていく。

今日は休みをもらい、昼過ぎまでのんびりして夕方からお通夜へ行って来た。お通夜まで日が空いたのでだいぶ色が変わっていたし、当然死後硬直してるので亡くなった直後と顔が少し違って見えるのは仕方ない。
親は先に死ぬもの。兄ちゃん達も親の死を受け止めてすでに切り替えているように感じる。一番つらいのは長年連れ添ってきたおばさんだろう。まあ家庭の内情までは知らないが、僕の知らない所で色々大変だっただろうが。この前の病室での映像が泣き叫ぶ声ともに未だに脳裏に焼き付いているせいでなんとも言えないし、頭を下げることしか出来ない。単に気が回らないから言葉が出ないだけなんだろうか。分からない。

通夜が終わって通夜振る舞い。僕は親戚の中で一番年が下だし、一番話のテンションが低いのであまりしゃべらない。それがわかっているから気を使ってしゃべらない。それに自分から話したいことは特にない。基本話を聞いてるだけ、何か聞かれたら答える。唯一自分とどこか似たところのあ兄ちゃんとは普通に喋る。上野毛の二郎の話で盛りあがった。

いつも思う。僕は人が好きじゃないから人間関係も必要最小限に生きていきたい、それが本音だ。
そして、対等の関係じゃない人の集まりはやっぱり苦手だ。

それと気分が今ひとつ上がらないのは、死の瞬間とそれに伴う人間模様を目の当たりにした影響も少しはあるような気はする。誰もいずれ死はやってくる。生きるのも嫌だが死を迎えるのも嫌だ。自分が死ぬ瞬間、そして死んだ後どうなるだろうか。
間近で他人の死を見つめ、遠のいていく記憶呼び起こすがやっぱりあやふやとしている。そうやって身近に居たはずの人間の記憶すら時が経てば忘却の彼方へ消えていくのか。そう言えば今日じいちゃんの命日だって事、言われてから気がついた。

無気力

ここ数日はどうも元気もやる気も出ない。なんとなく落ち込んでいるのだろうが、虚無感に襲われているわけではない。インフルエンザあたりからぼーっとしていたせいだろうか。だるいと言いながらもしばらくポジティブで居たと思ったらこの落差。生きているともう色々めんどくさいな。いろんなことに対するモチベーションというものは常に保てないものである。
目の前にあること(しばらくは仕事のことだけ)考えてれば良かったのだが、実生活で横からあれよこれよと余計な事が飛び込んでくるとせっかく落ち着いていた心もかき乱され中々落ち着かない。それに一旦余計なことを考え始めるとどうもそればかり気が行ってしまう。「そんなこと考えたってしょうがないでしょ」と心落ち着かせるもまた時間が経つとイライラしてくる。
仕事、お金、人間関係のしがらみ(親戚、町内会など・・・

毎日キラキラと輝いた日常を送ってる方たち、さぞ生きてることが楽しかろう。常に楽しいと感じられるような心の余裕があれば良いのだがそう上手くは行かないもんで。前向きに考えようと思う時もあれば、どう言われたってそう思えない時もある。生きて行くことでさえストレスなのに更に余計な事でストレスを抱えたくない。ストレス抱えるから心に余裕がなくなって、潰れていく。だりぃ
この無気力さも時間が解決してくれるだろうか。

見届け

今日は休日、午後からがんセンターへと行ってきた。最後、母親が入院していた時以来なので9年ぶりに来たことになる。相変わらず人が多い。昨日親戚のおばさんから急遽電話があった。どうやらおじさん(親父の弟)が持って数日だと。あまりにも突然過ぎて事態が読めなかったのだがどうやら癌だったらしく初めてその事実を聞かされた。
病室に行くとやせ細ったおじさんの姿が。意識はほとんど朦朧としているのだろう、呼吸が荒い。2時間経ってそろそろバスの時間もあるから帰ろうかなと思っていると、呼吸がゆっくりになっていることに気づく。結局そのまま心肺が停止しておじさんの最期を見届けるという形になった。一旦休憩のために家に戻っていたおばさん(奥さん)に親戚の兄ちゃんからその事実が知らされたとたん電話越しからものすごい泣き声が。数十分後、ようやく病室に戻って来ておじさんの姿を見るやいなや、今にも倒れそうなくらいの勢いで泣き崩れてしまって。最期を見届けてやれなかたっという悔いか、あそこまで取り乱している人間の姿というものを見るのは初めてだったのでかなり鬼気迫るものがあった。
生まれて初めて人の死に目に立ち会ったわけだが、そういえば自分の家族誰ひとりとして最期を見届けられてなかったなと。泣き悲しむ人がいる傍で、僕はかなり遠いところから死を冷静に見つめていたと思う。