HOT LIMIT



僕が小3の時にすでにこんな格好して踊ってたんだよと思うとなんだか元気が出てくるね。ホント17年前とか信じられんです。SHAZNAのIZAMと西川貴教に何か近いようなものを感じていたと思います。なので小学生当時、この人は男なのか女なのか、それともオカマなのかよくわかりませんでした。
いまPVを見ても古さを感じさせるどころか斬新さすら感じさせるのはこの時彼がかなり先を行っていたからなんでしょうか。僕も自分の葬式でこんな曲で送ってもらいたい。
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周りと違う何か

気分の浮き沈みが激しすぎて自分でも嫌になってしまう。折角の休日なのに何でこんなに気分が晴れないんだろうか。会社ことは兎に角考えたくない。非常に憂鬱だから。
それと周りの人間と比べて感じる「ズレ」というものが顕著になってきた。その「ズレ」の正体というのを説明しようとも上手く伝えることが出来ないのだが、明らかに社会不適合者寄りなものではないのかなと。そして表には出さないだけでどこか冷めきってる。気がついたら僕が異質な考え方をしていて、終いには異質な存在なんだということを感じている。
「何かが違う」以前からなんとなく気づいていたこと果たしてこのまま暮らしていけるのか、やっていて行けるのか。そういった不安が元々無い自信を更に無くして生活の活力、生きる根本的エネルギーさえ失わせているような気がしてならない。元々持っている性格に加え、そしてどこか知らぬ間に飲んだ毒が徐々に効いて今ようやく気づいたのかもしれない。
いつか社会生活がまともに送れなくなってしまう時が来るんではないか、廃人同然になってしまうのではないかとそういう不安が拭えないね。

僕の目、あげるよ



先日臓器云々て言うことを書いていたけど、臓器提供の意思表示を何の形にも残していなかった。そもそもドナーカードなんて持ってないし、運転免許証ぐらいしかないので裏にでも書こうかと。提供したくない臓器があれば・・・・と書いてあるが、その中で「眼球」だけがやけに目についた。これも臓器なのか。汚い言い方だが、目玉をくり抜かれるってどんな感じなんだろう。他の臓器はお腹開いて取り出すってだけだろうけど、何故か目玉だけは取り出す事をあまり想像はしたくない。一様戻ってくる時には義眼が埋め込まれてるらしいのだが、まあでも家族なんてせいぜい姉ぐらいしかいないし遺体云々の見栄えなんて燃やされるまでの間だけだし。
もう脳死の云々の議論は考えるとややこしいので問題の根本は辿らず、自分が死んだ時に臓器を「提供するかしないか」とりあえずはそこの部分だけ考えることにするよ。

味方

日々溜まってるものをぶち撒けたい。ゲロ吐くようにぶち撒けてメッチャメチャのぐっちゃぐちゃに汚して。
自分の抱えてる問題、辛さしんどさ、いくら他人に吐いた所で本当に理解出来る人なんて皆無だろう。むしろ相手に理解してくれなんて事自体おこがましいとも言える。結局最後は「頑張れ」その一言・・・・そうじゃない、僕の言いたいことはそうじゃないんだ。ただ「頑張れ」そう言われるのが目に見えてるのでだから僕はもう貯めこむよ。自分で消化するしか無い。消化できなけりゃいつかは臨界点を迎えて爆発するだろう。
ただ誰かに聞いて欲しいのである。それでもし共感してもらえたら嬉しい、受け止めてもらえるならそれだけでだいぶ気持ちはは楽になる。そういう人が多いのではないのか。よく慣れ合いだという人もいるけど、その人の気持ちがそれで楽になるのならいいのではないのかと思う。
あなたの周りに味方はいますか?素直に自分の思ってることを吐き出せる人はいますか?全て理解してもらえなくてもただ聞いて受け止めてくれる人。味方になってくれる人がいないとしんどいですよ。中々周りの人にも言えず、かと言って他に吐き出す場所がない。モヤモヤとした思いを抱えながら今日を明日を、一体どれだけの人間が生きてるんだろうか。

何か声がするなと思っていたら駅前で募金活動をしていた。その様子をTVカメラまで来ているじゃないか。心臓移植が必要な、俗にいう○○君、○○ちゃんを救う会というもの。誰しも1度や2度はどこかしらでみたことがあるだろう。地元の女子高生達が大きな声出して募金を呼びかけてるその目の前を僕は通り過ぎた。一様チラシは受け取ったけど目標額おおよそ3億円。24時間テレビだったら1日で集まる額だろうけど、一個人が集めるとするならば気の遠くなるような道のりだ。

昔の僕だったら感情が先に出て募金していただろうが、善意を踏みにじるような人間が少なくともいるという事実を知った時に考えが変わってしまったのである。上野であった募金詐欺、あの頃の僕は無知であったのと相当なお人好しだったんだろう。よくわからん募金と今回の心臓移植のような募金を同列に考えるのは酷な話だけど、でも果たして募金したお金は正しく使われるのか、ちゃんと報告をしてくれるのだろうか、そういう疑問をいだいてしまってから一切募金というものしなくなってしまった。今回の募金も疑うわけではないし、募金を集める側も必死であることはわかる。だれしも助けを求めてる子供の写真見せられたら助けてあげたいなあと情が湧いてしまうのは極自然な気持ちだろう。何も考えないで募金するなら誰だってできるが、一度立ち止まって考えてみるっていうのも必要なんじゃないかと。だから募金活動をみる度になんとも言えないジレンマをいつも抱えてる。

そもそもとして数億円単位の金を容易せざるを得ないその状況を何とかすべきではないのかと思った。調べてみれば数年前に法律が改正され、それまで認められていなかった15歳未満でも家族の承認があれば臓器提供が出来るということを改めて知った。本当に無関心だったのか、全く知らなかったのである。当事者にならない限り、世の問題に関心をもつ人は少ないだろうね。ひとまず大きな法律の壁はクリアしたとしても、じゃあなぜ未だに数億円用意して渡米する必要があるか?国内で何とかならないかという疑問が残る。結局そこにはさらなる課題が渦巻いているのだろうけど、圧倒的にドナーが少ないんだろうと。更に辿れば脳死判定の難しさ、家族の感情・生死感というか思想の壁が立ちはだかっているのだろうと。

僕は自分が脳死状態になったとしたら結局最後は燃やされるだけなので使えるものは使ってほしいと考えている。今のところはね。それは僕の体だからであって、赤の他人にじゃあ同じ事言えるのかといえばデリケートな問題なのでそりゃ言えないですよって話。自分の家族が脳死と判断されたらそれを本当に死んだと見なせるのか。それが自分の子供だったら死んだと見なせるのか。さらに言えば体を傷つけて臓器を取り出すことに耐えられるのか。人それぞれ考え方が違うので同じ土俵で考えるのは難しい問題だと思う。ただ、国内が無理だからとこのまま海外で手術を受けようとしても費用もかかるし、そもそも割り込むわけだから手術を受ける国の子供の命すら奪ってしまってるかも知れないというね。だからと言って、国内のドナーを増やせといえば脳死判定を受けた側へ臓器提供しろと圧力をかけているとになる。話が複雑すぎて上辺だけのことしか書けないけど、臓器を提供する側、受ける側双方ともジレンマを抱えてるのだろうねぇ。何でもそうだけど本当の苦悩は当事者にならないとわかりません。

誰かがやるしかないのか

夢で入社式だか入学式の司会を任される夢を見た。しかも式の直前でやれという無茶ぶりな設定。恐らく昨日の飲み会での記憶が夢にまで影響していたんだろう。結局良くわからない展開で終わったのだが、少なくともかなり緊張していたんだろうと思う。
中学、高校までは何かと人前に立つ事が多かった。ある意味では周りの信頼を得ていたといえるのかもしれない。が、実際はどうかといえば、ただ単に他に出来る人がいなかっただけの話だと思っている。正確に言えば皆やりたがらない。そりゃ面倒くさいし、緊張するし恥ずかしいし人前に立つなんて出来るだけしたくない。僕だってリーダーシップがあるだとかカリスマ性があったわけでも何でもない。ただ真面目だったから、そして「○○ならやってくれそう」という期待があっただけなんだろう。それはある意味面倒くさいことの他人への押し付けだったとも受け取れる。「誰かがやってくれる」結局皆そんな感じだろう。さすがに決まってしまえば「嫌だ」なんて言えないし駄々こねるのも恥ずかしいしやるしか無いのである。そうやって一度実績を作ってしまったら次も、その次もとなってしまうというオチ。実際中学の頃は大変だった。学級委員、学年委員、生徒会・・・。放課後、僕だって早く部活に行きたかったし帰りたいのに学校行事に向けての会議。その連続。もう不満が溜まってたけどさ、「もうやるしか無い」という諦め、そして責任感で何とかやってた。人前に立って何かする、喋るということはいい経験になったのは確かだけど、もうそういう事やれと言われても性格的に精神的に無理だと思う。
誰かがやらなきゃいけない。でも誰もやりたがらない。仕方なく誰かが引き受ける。結局他人への押し付け、その繰り返し。大人になった今でも組織に入ればあるってわけですね。だるい。

やってらんねぇ

会社の飲み会へ行って来たが、ひどい、ひどすぎる。酔っ払い共の無茶ぶり、その連続。他の部署の人達ならまだしも、あれが僕の部署の先輩や上司に当たる人たちだから余計たちが悪い。これが今後続くかと思うとついていけねぇよと。隅っこで趣味の合いそうなおじさんと話しながら平和に飲んでたのに「こっちこい」呼び出し。笑いを求められ、可愛い店員に話しかけてこいと、その他もろもろ。まあ飲み会じゃよくある話だけどさ、僕にとってそういうのがだるいんですよ。どうもあの人達が求めるものを僕は理解できていないようだ。あれならいっそ酔いつぶれてたほうがマシだったと思う。だから飲み会って嫌いです行きたくないんです。やっぱりね、バカ出来る人とできない人ってのがいるんです。その差って何かって性格なんですよ。ただそれだけ。
しかも安月給なのに会費5000円だし・・・高すぎだろ。

今の事業所に来て1ヶ月がたった。ざっくり言うともうすでに「やってらんねぇ」と思うわけです。どことなく感じる古臭さ。田舎の企業って所詮こんなもんですかね。飲み会だとか他のイベント事も暗黙の了解なのかほぼ強制的に感じる。まあ断るところははっきり断る。個人的に趣味の合う人と何かするは全然いいけど、自分の休日潰してまでなんで会社の人達となんかやらなきゃいけないのかって話だ。気を使うしダルいじゃん。
話してても世代間ギャップ+地域ギャップというのを感じて非常に辛いですよ。僕がおかしいだけなんでしょうか。
新卒で入った新人さん達どうですか?「同期最高!」と言ってたいたのはいつのこと。早速辞めたいと思ってる人たちもいるんじゃないでしょうか。よく先輩に既卒なんだからどうたらこうたらって言われますが、新卒だろうが既卒だろうが未経験で一から始めるなら一緒のようなもんですよ。「やってらんねぇ」「辞めてえ」「ちんこ」と僕は毎日思ってます。

自信

なんかさぁ、なんかもう、なんかねぇ。自分に自身が持てないわけですよ。
27歳までもう一ヶ月を切っている。今までどうやって生きてきたのか、生きてきた道を肯定していいのか。未だに自分に自信を持てません。辺に何か気にし過ぎているのでしょうか。
自分自身の何を肯定すればいいのでしょうか、未だによくわかりません。誰かが肯定してくれるわけでもないです。
こんな人間ごまんと溢れてる。そうやって皆孤独を感じていくんだろう。

何が正しいのか

自分の今いる場所・今いる環境が自分の価値観や常識の基準を作りあげてしまうのならば、同じ場所に留まり続ける事がいかに危険な事か。結果的に視野を狭めてしまい排他的になりやすいのではないのかとふと思う。純粋な人、真っ白な人ほど刷り込まれやすい染まりやすい。決して疑うこともなく、それが常識だと絶対的だとそう思い込むに違いない。そしてその人の基準ってものがそこで形成されてしまう。なので実に非合理的な事象・判断ですら正しいと思い続ける可能性は十分にある。
社会の常識?いいえ、それは今あたなが所属している組織、場所、人間関係内の非常に限られた狭い空間でのみ通用する常識じゃないのかと。その人が悪いのではなく、場所や環境や周りの人達、そしてその人に価値観を吹き込む側の人間が悪いのである。僕は真面目そうなフリして、内心は相当ひん曲がった性格だから皆当たり前のように正しいと思い込んでる非合理的、不条理で古臭い常識や価値観を素直に受け入れることが出来ない。そう感じる度に糞食らえと思うのですよ。一度でいいから感情より合理性が優先される場所に辿り着いてみたいよ。
まあ同じ場所でずっと働けるならそれはそれで幸せだよなぁと。

もやっと

ようやく一週間が終わったと思いきや、明日は月1回程度ある土曜出勤の日なようだ。どうみても有給をなんとか消化させるためにわざと土曜出勤の日が設けてあるとしか思えない。実際有給奨励とか言ってるぐらいなので予想通りでした。
日々色んな不満を溜め込んでいるが今日は特にモヤモヤしている。しばらくは吐き出しもせずにこのまま溜め込んでおこうかと思う。疲れてはいないけど何だか気力が湧いてこない。
帰りの電車で外の風景を見ながらやけにジジイになった様な気分になった。なんで、こんな人生を歩んでしまっているんだろうかと。それも僕がその時その時の選択してきた結果、その延長線なんだろうかね。もうクソすぎて何も言えねぇ。死神いるとして、もし今楽に死ねるとのお誘いがあるならば僕は謝礼を用意してお願いするよ。
今とりあえ何とか言えることは会社ってだるいと言うこと。所詮は人間の集まりだし、やっぱり組織に属するって面倒くさいし、だるい。
ところで本日映画「海を感じる時」が発売されたようで、ようやく市川由衣の乳首が解禁となったよと。もう少し若かったら・・・なんて思うけどそんな贅沢は僕は言いませんよ。わざわざ新宿まで見に行かずに待っていた甲斐があったんだろうか。結局エロが日常を生きる活力になっていることは否めませんね。

下流に沿った生き方

消費税10% 2017年4月に決定

遅かれ早かれの話。そもそも宗教法人税だとかパチンコ税とか他に取れるところがあるじゃんって思うけど、結局大人の事情でタブー視されているんでしょうかね。消費税が8%になってからというものの、やっぱり値が上がったなというのは実感している。特に食品とか日用品。これらも含めて一括に増税するのって頭おかしいけど結局いちいち項目分けしてるのが面倒くさいってだけの話なんだろう。まあこれから予想できることといえば10%で済みますかねって話で。21世紀は明るい未来が待ってるなんてどこの誰が言ったのか、科学技術ばっかり進歩して肝心の経済は成長しているのだろうか。携帯とかネットのおかげで生活はより便利になって恩恵はエライ受けているけどさ、じゃあ生活が豊かになった、そしてこれから豊かになりますかって言ったらそんな実感は無いですよと。結局国は絞れるところから徹底的に搾り取るだけなので、自分の身は自分で守るしか無いってことですかね。社会保障も期待できないし。

下流の生き方として僕に出来る事は出来る限り消費を抑えることぐらいだろう。最低限生活に必要な出費以外は出来る限り貯蓄に回すこと。もっと言えばモノをなるたけ所有しないということですかね。万が一死んだ時、後の整理も楽になるので。奨学金で痛い目を見てるので、僕からしたらマイホームにしろ車にしろ、ローン組んで物買うとか正気か?って思ってしまいます。だって借金じゃん。まあ誰が何を買おうがその人の自由だし買いたきゃ買えば良いだけの話だけど、家買った友人がようやくそれに気づいたようで落ち込んでるようです。庶民の当たり前を手にしようとすることさえ、難しい物なんだと今更ながらに思う。中流層って何だったのか、経済は金に余裕がある人たちが支えてください。