昔の何か

親父関連の書類を整理していたところ貴重なものが出てきた。恐らく結婚式で配ったであろう手作りの冊子?の原稿。明らかに母親が書いた文字。出会いのきっかけだとか互いの印象だとか質問形式で色々買いてったり、よくわからん歌とか載ってるけど読んでるこっちがかなり恥ずかしくなる。まあふたりとも若かったんですね。当然親としての母親の姿しか知らないけど、母親だって当時はの女の子だったんだなということがよく伝わってくる。母親23歳、親父32歳(恐らく)。写真見ればなんでこんな男が若い娘のハートを射止めることができたんだろうかといつも思う。親父もかなり積極的だったようだし情熱的だったみたい。ある意味で母親は親父に騙されたのかもしない。恋は盲目なんだろうか。
親戚のおじさんおばさんからのお祝いの言葉のページに「結婚は忍耐なり」「忍耐の毎日である」とでかでかと書いてあってリアル過ぎてワロタ。さぞ結婚生活も大変だっただろうし、子供が知らない苦労を色々してきたでしょう。
順風満帆のまま人生終えられるのならそれはそれですごく幸せなことだなと。人生どう転ぶかなんてわからないですけど、死ぬときに満足できればいいかなとも。
表紙の文章の最後は「良い”おとうちゃん” ”おかあちゃん”そんな夫婦になれるよう頑張ります!!」と締めくくってある。両親は結婚して本当に良かったのか、聞くことが可能ならば聞いてみたいもんですよ。僕にとって良き”おとうちゃん”であり、”おかあちゃん”だったのか。日々記憶が遠のく中でだんだん思い出せなくなりました。
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街が変わる

ふと何か景色が違うなと思っていたら、そこにあったはずの割烹旅館が跡形もなくなくなり、ただの瓦礫になってた。その旅館はいつからあったのかしらんけど、僕が小さい頃からずっとあったのは事実、近所だけど泊まったことはない。けど数年前に法事の後の食事会で行ったのかな。移転なのか、それとも潰れてしまったのか。若い子も着物来て働いていたので、もし潰れてしまったのなら気の毒だなあと思う。まあそれ以上に経営者が一番気の毒だけど。決して時間は止まることなく、常に世の中は回ってるんですね。体力の亡くなった会社は潰れる。残酷だけど結果が全てなんですよね。

小さいころと比べたらすごいスピードで街って変わっていってる。都会なんてもっと早いけど、振り返ってみればあんなものがあったなあと。当時も今も「ああ、新しくできたんだなー」とか「ああ、潰れちゃったんだなー」とかごく自然に受け入れてきたけど、潰れていくのを見るとなんか味気無いなと。僕が地元から離れていいる間にも、特に駅前がだいぶ変わりました。
振り返ってみて見ると、中学生ぐらいまであったはずのCDショップ、ゲームショップ、おもちゃ屋なんて今じゃほとんどなくなってる。小学生の時と言えばポケモンも流行ってたしそれ以上に遊戯王カードがめちゃめちゃブームで、放課後みんなおもちゃ屋に行ってバトルしたり学年問わず小学生のたまり場でした。あの頃が一番活気があったはず。そこのおもちゃ屋が今やってるのかわからないけど、街の中心街にあるおもちゃ屋はいまじゃゼロ。ゲーム屋も一軒だけ。CDショップはない。中学生の時よくモー娘。のCDを買ってたけど、もう色んな意味で懐かしいよ。そりゃCDなんてもう買わないし借りるで十分だし、TSUTAYAだとかゲオだとか巨大資本に小さな会社が勝てるわけない。その上ネット通販という巨大な敵もいるわけだし。なんだかんだ言って本屋さんが残っているのは、中身を確認しないと買うか買わないか判断できないものだからじゃないかなと。百貨店・デパート、有名ドコロはすでに撤退。せいぜいヨーカドーがあるぐらいでしょうか。
商店街は完全に死んでます。じいさんばあさんばかりで、この人達が死んだら誰が来るんだろう。東京に住んでた時に近所の商店街は活気ありましたね。戸越銀座も近くだったのでたまに行ったけど、まあそれ以上に全然活気が違う。もちろん人口の問題もあるけど、電車移動が楽だから。もっと言えば鉄道と駅前の街がほぼセットで上手く機能してる。私鉄なんて運賃安いわけだし、東京の商店街なんてどこもそんな感じじゃないのかなと。生活圏内で事足りするし、商業施設と上手く住み分けができているんですよね。結局地方なんて車社会だからわざわざ駅前商店街なんていかないし、デパートだとか大型商業施設に行ったほうが早い。一箇所に集約したほうがやっぱり便利なんですよね。数年後に市内にも大型商業施設ができるらしい。まあ雇用は生まれるだろうし、どんな店が出店してくるのか楽しみですが、近隣の商業施設と客の取り合いですよ。
人口が減っていく中で魅力的な街づくりってやっぱり難しいわけで。仕事を求めて都会へ出て行く。結局新しい産業が起こるか、大企業を誘致するか、都会にあるような旬なお店が出店してこないと(どうせ撤退するけど)厳しいのかなあと思います。まあ街自体が衰退してるという中でも活気あるところは活気あります。まあそういうところは観光客メインのところですけどね。
そういえば野菜の値段が落ち着いてきた。レタスも値上がりした時の半額ぐらい、特売日だと100円以下。主食を米でなくレタスに変えてから何かと腹の調子が良くなったけど、先日久しぶりに米をどか食いしたら未だに腹にたまってます。米はうまいけど所詮炭水化物なので食い過ぎは太るし、僕だけなのか便が出にくくなる(硬くなる)のであんまいい事無いですよ。

太く短く

長生きしたくない僕にとってのそれは理想であるけど、このままいけば「細く長く」でもなく「細く短く」の人生になるんだろうなって。金もないまま、彼女も出来ないまま、セックスの一つもしないまま、やりたいこともできないまま、ただ世界の片隅で小さく死んでいくんだろうと思う。意気地も覚悟も甲斐性もない男ですよ。嘆いているだけで見苦しいけど、自分で自分の人生を上手くコントロールなんて出来やしない。世の中が明らかに悪い方向へと進んでいく中、ダメな奴がどんどん駆逐されていく。いや、マジでどうすればいいんだか。もうちんこですわちんこ。

ヤモリ

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昨日ヤモリが庭にいまして、これまた小さくて可愛い。なかなか見かけることがないので結構珍しい生き物だと僕の中では思ってます。小6の時に熱帯魚屋で売っていたイモリが物珍しくて飼育していたのですが、それを学校へ持って行きクラスで飼育して、最終的に担任の先生にあげてしまいました?イモリとヤモリ似ているようで全く別もんですよ。ヨットをボートと勘違いすると似ている感覚じゃないかと。マナとカナは区別がつかないですけどね。そういえばおすぎとピーコは最近全く見ないけど何処へ行ったのやら。

今日は会社の面接のために東京へと行って来ました。しょっぱなから高速バスの時間を間違えるという失態を犯し、電車で行く羽目になったけど、2人席の隣に可愛い子が座ってきたのでそれは良しとすべきか。
面接というよりは面談形式。結構物腰の柔らかな社長で色々と話しをさせていただきました。町工場のような小さな会社ですが、ここで働くのは僕にはちょっと座敷が高いというのか、「え、僕がやってけるの!?」と感じ。やってることがやってることだし、分業制ではないので「この範囲だけしか知らない」というわけにはいかない、兎に角幅広い知識が必要だと。自分達じゃ作る技術がないからと、数々の大企業の技術者がわざわざ依頼に来るぐらいなのでそりゃ対等、それ以上に渡り合うために社長も含め社員さんも相当勉強しているみたいです。「勉強が嫌いな人はうちの会社には向かないですね」と。そりゃそうですよね、技術職の宿命だと思います。途中、製造部長さん(結構癖のある方)とも話をしましたが、早口で専門用語連発でわけもわからない状態でとりあえず顔をひきつらせながら頷くことしか出来ませんでした。まあ未経験って言っても大事な基礎ができてることが前提なんだけど自分がどんだけ基礎知識が身についてるのかって言ったらわからないです。幾つか質問もされたけど答えられなかったものあったし。話の中で「何処の大学出ても、それが院卒でも結局何も出来ない・モノを知らない人がほとんどだから皆同じ」的な事を言っていました。まあ確かに学校の勉強だけで回路が組んだり何か作れるかって言ったらそりゃ無理で、周り見渡したらそんな奴いなかったと思います。だから自分で電子工作してる人のほうが電気電子系をただ単に名乗っている学生よりよっぽどモノを知ってると思います。学校は基本座学だけで、大学になると高校と比べてあまりモノを触る機会というのは無いですし。正直内容なんてほとんど頭の中から抜けてます(それは僕の頭が悪いから)。まあ僕も高校・大学とそれぞれ感じたことを喋ったのですが、「君たちが悪いのではなくて教えるほうが悪い」と今の学校教育のあり方に対して色々と嘆いておられました。他にも色々言ってましたがそこは割愛。まあ言ってもすごい人や出来る人達は学校云々に関わらず独学なり自分で勝手に勉強してますよね。

数日後に結果が来るそうですが、採用になっても試用期間の3ヶ月で駄目と思われたらそれで終了だから、引越し費用のことを考えればリスクは高いよなあと(社長もおっしゃってましたが)。まあ小さな会社でもすごい人たちはやっぱりすごい。もうね、僕に働くところはあるのだろうかと働くのが怖くなってしまいました。
そういえば新しくなった東京駅を今更ながら(東京駅の外に出る機会ってあまりないので)見たのですがめちゃめちゃ立派ですねw帰りは高速バスにぎりぎり間に合ったのですが、ずいぶん八重洲口も綺麗になりましたね。なんていうか、あの辺一体に立ち並ぶオフィスビルだとかその辺にいるビジネスマンだとか道路なんて見てるとまるで別世界に来たようで仕方ないです。

専業主婦VS働く主婦

フジテレビでノンストップという明らかに主婦向けの番組がやっていて面白いのでついつい見てしまうのですが、先日「専業主婦VS働く主婦」という回がありまして、つくづく女性の争いというのはリアルでおぞましいなと感じましてね。
画面にツイートが流れるわけでして、その中で「専業主婦だって忙しいんだぞ」ものを見かけた時に、「なにせこんな時間にツイッターしながらテレビ見てる奴が忙しいはずないだろう!」と思ってしまったので、その意見に僕は納得行かなかったのです。まあ普通に考えたら大変さで言えば働く主婦>>>>専業主婦だと思ってます。どちらがエラいとかではなくて大変さで言ったら代えがたい事実。
と言っても専業主婦にも子育て最中の人と、子育てをしていない又は終えた人と2タイプあると思います。
前者ですが、姉を例に見てみると、忙しそうにしてるかといえば非常に暇そうですね。日中なにしてるかといえばソファーでくつろぎながらずっとスマホいじってる状態。時間が来れば買い物したり飯作ったり。ただ子どもと24時間付きっきりという点で見たらとても大変そうですよ。僕にはあれは無理だと。たまに「一時間だけ出かけてくるから面倒を見ていて」って事があるのですが、10分も精神が持たないです。 「ママ、ママ!」と泣きながら家中探し回る次第、やっぱり小さいうちは子どもはママから離れられないし、精神的にキツイだろうと思います。ただ一日を通してみれば圧倒的に時間にゆとりはあるので暇だと思います。
後者ですけど、まあこれは言わずとも暇であり楽ちんですよ。日中、小綺麗な格好をした奥様方が楽しそうにおしゃべりをしている光景を目の当たりにした当時学生であった僕はぞっとしてしてしまいました。奥様方がこんな楽しいひと時を過ごしている中、夫はヒイヒイ言いながら働いているのかと思った時になんて不公平な世の中なのだと、男の宿命を悟らざるを得なかったわけですが。この層の人達が「専業主婦は大変だ!」「休みがないんだぞ!「立派な仕事だ!」とぬかしていたら「ふざけんな!」と素直な怒りが湧いてきてしまうわけです。それと仕事をある程度経験してから家庭に入る人と、仕事をしたことがない又はバイトのみの経験で家庭に入る人とでは受け止め方ってのはまた違ってくると思います。
もう一度言うけど、仕事をしているからと言って決してエラいとは思いません。ですが一日の時間が限られてくるのと外部からのストレスを受ける確率100%なのでやっぱり大変なんですよ。結局のところ、誰しもが自分の大変さを周りに認めてもらいたいんですよね。

まあ男も仕事で忙しいのもわかるのですが、家の事を奥さんに全て任せっきりというのは良くないなあと。僕の親父は母親が入院するまで、全部家の事を任せていたので米すら炊けなかった状態でした。だから自分で家事をせざるを得ない状態に追い込まれたし、米の炊き方とみそ汁の作り方をなんとか覚えたり(たぶんおかずは全く作れなかった)。まあ誰かがやってくれるなら自分でやらずに全部任せてしまいがちですよね。だから誰かがやってくれてるなら感謝の気持は持っておくべきだし、文句言えばそりゃキレられますよw
前の記事と同様、家庭のことはそれぞれ家庭で違うのでお互い納得するまで話しあえばいいと思います。まあ他人の家庭はあーだこーだなんて言われるがわからしたら大きなおせっかいですよね。まあ俗にいう嫉妬てやつですねw

共働き

さっき彼女に将来共働きしてくれつったら別れる事になった

ばあちゃんから聞いたのだがどうやら姉が第三子を妊娠ているらしい(ばあちゃんもホント口がかるいな)本人からはまだ聞いていないので、言ってくるまで知らん振りをするつもりだがまあびっくりですよ。単純に金銭的に大丈夫なの?って心配はあるけど、まあ作るったからにはそれなりの覚悟はできているのだろうと勝手に思っています。いざとなった時に助けてくれるのは親かサラ金だけですからね。

さて、「共働きしてくれ」って言って「嫌だ!」っていう人はほんとうにいるんでしょうかね。男一人馬力で800万!1000万!数千万!稼いでるなら別に奥さんに「働かなくてもいいよ」なんてさらって言えちゃうのかもしれないですけど、現実そんな稼げる人なんて全体で見ればごく僅かなもんで。都会は知りませんが、地方在住ならば共働きって標準なんじゃないですかね。実際僕の親もそうだったし、周り見てても共働きの家庭がほとんどだったと思います。(飛び抜けて稼いでた家庭なんて見たこと無い)。例えば、一馬力で年収300万でも二馬力でそれぞれ300万なら世帯年収で600万です。もし自分が結婚するならばやっぱり働いてくれる人じゃないと厳しいです。情けないですけどそんな稼げないし、なにせ片方のみに頼っていた場合、働けなくなってしまったり死んでしまった時に収入が途絶えてしまうどうすんの?というリスクがはらんでいるわけで。家族だって小さいながらも組織なわけで、誰かがいなくなった時に回らないような組織って脆いですからね。

まあ男は死ぬまで働けということが運命づけられているわけですが、女性だって数十年前じゃあるまいし今の時代働くのが当たりだと思っている人が多いんじゃないですかね。ただ親の影響というのも強いのかもしれなくて、母親が働いていた家庭で育った人とずっと専業主婦だった家庭で育った人とじゃ仕事に対する考えってだいぶ違うんじゃないでしょうか。前者なら働きたい、後者ならずっと専業主婦でいたいとといったように。
それはいいとして、女性にとって「仕事か出産・育児か」という大きな壁が待ってるわけですが、その辺選択に迫られない分、男でよかったと思ってます。さすがに育児中は専業主婦にならざるを得ないですけど、さあその後が問題で。民間でも育休だとか制度が整ってる会社もあるけどそんな会社少ないんだし、長い目で見れば民間企業へ入るより職場復帰しやすい医療職・公務員系の職を選択した女性って賢い選択したなと思います。どの道、仕事辞めたら専門スキルだとか国家資格がない人間は単純労働につく以外道がないのは仕方ない、というのは男も同じでし。
あと女性の活用だなんだって政治家はいってますけど、まああれもどうなのかなって思います。(言い方が癪に障ると感じてる人も多いんじゃないですかね)出産・育児で悩む女性も働きやすい社会づくりってのはいいと思うんですけど、それは政府に求めるのも無理があって、できることって法整備くらいなもんじゃないですかね。だから本来ならば自分が働いている企業側に直接訴えるべきだと思ってます。いくら法律であれこれ定めた所で労働基準法すら守ってない企業多々あるわけだしそんな企業が新しい法を遵守するかと言えばそれは疑問で。法律が変わっても企業が変わらなければ何も変わらないわけだし。
まあパッと見た感じ、女性のほうが色んな意味で不利というか、負荷がかかりすぎる感は否めないです。共働きでも家庭のこともやりながら働いてたり。それでいて夫はまるで協力してくれない。負担の配分が違ったらそりゃストレス溜まりますわwまあ男も男でつらいもんがあるわけで。中にはプレッシャーに潰されて鬱になったり自殺しちゃったりする人もわけでして。それに専業主夫になりたいと思ってもなれないんですよ・・。女性と違って「いざとなれば家庭に入ればいいや!」的な事が男には許されてない感MAXですし、逃げ場が全くないんです。まあ家庭のことは夫婦なんだからその辺「テメェらでうまく話しあえや!」ッて思うんですけどね。

まあ最後に、初めから寄生目的の女性に捕まったらそれこそ不幸になること間違いなしなので、相手選びは重要ですよねって。

言葉って難しい

近々面接(ってか見学含めた面談)に行くことが決まった。まあ小さな会社だけど、HPで見る限り会社というよりは小さなラボそのもの。やってる事はすごいらしいんだけどね。
まあ社長さんとのメールでやりとりの中で「平服で気軽にどうぞ」との事だったけど、当然「平服って何だ!?」ってなったわけで。今までスーツが基本だと思っていた僕にとっては、これは普段着の事じゃねえの?と勝手に推測していたのですが、これまた調べると定義が人や場所によっても違うので曖昧。略装?スーツだのそれに近い服だのなんだの。わけがわからないので恥を承知で「平服って普段着でいいんですか?」と質問してしたところ、どうやら普段着との事。昔は「よそ行き」と「平服」と分けて言っていただとかご丁寧に説明してくれたのだが、私服とは一寸違うけどほぼ同様だとさ。まあ確かに小さなところだし、そんなかしこまってスーツで行くような場所では恐らく無いので、普段着でいいよと言ってくれているのだろうけど。写真で見るも、中で働いているの人も結構ラフな感じの服装にみるし。
じゃあ今度は「普段着ってのはどんなの着ていけばいいんだ!?」ってなわけです。これは僕だけではなく殆どの人が悩むことではなかろうかと。まあいくら小さな会社とはいえ、面接(ってか面談)の場なのでそれなりの格好をしていかなきゃいけないってのはわかるけど、もうジーパンにシャツでいいじゃんかって思います。だってそれが僕の普段着だもの。でもそれじゃマナー違反だと誰もが言うでしょうね。「ビジネスカジュアル」って言葉があるそうだけど何それって。キレイ目な格好が似合うの細身の体型ではないのでそういう服持っていないんですよね。まあ元々野球をやっていた影響もあり腿が太く、ケツがでかい。だからジーパンしか履かないし、綿パンなんて持ってないですよ。革靴なんて履かないしスニーカーしか無いです。何でもすんなり着れる体型ならまだしも、無理に着ようとしたら余計不格好になるから悩むわけですよ。普段着ってホントどういう意味だよ。
一つの言葉に色んな意味が合って、その言葉を発する人によっても違うし、年齢・年代によっても違うし、場所によっても違うので、その都度定義や意味が激しく変わってくる。その上で相手が何を考えてるのか、その言葉の裏も正確に読み取れとか、言葉って難しいよね。
学生が何処へ行こうが制服着てればなんとかなるのと同じで、大人ならスーツ着てればなんとかなる。通常はスーツが基本だと思うけど、逆にスーツ以外を指定されると余計に悩む。だからスーツが一番楽ですよ、考えなくていいんだから。
もう言葉の推測ゲーム、クソ難しいです。こんなくだらないことで悩みたくない。

自然に謙虚に。人にも謙虚に。



今更火山ネタなんてって思うけど、まああんな噴石映像見せられたらそりゃ助からないよなと。あんなに凄まじいものだなんて普通思わないわけだし。もし富士山に登ってる最中に噴火してたらって考えただけでもガクブル状態だけど、富士山に皆登らなくなるのかって言ったらこれからも多くの人が登るわけで。富士山より観光地で人が溢れてる箱根のほうがよっぽど危ないんじゃねって思います。
まあ地震だ津波だ噴火だ自然災害で、突如として非現実的な世界に中に身を置かれたら、もう生きるか死ぬかって一瞬の判断と運ですよね。そこには善人も悪人関係なく。可愛そうだけど、運が良かった人は生き残って運の悪かった人は死ぬ。結果的にはそうなるわけです。
まあ予想通り自己責任論というものちらほらでているけど、この言葉は良くないよね。こんなに冷たく突き放した言葉ってのは凶器なわけで。でもこの凶器が大好きで振り回したい人たちってのは一定数いるわけで。
余程の強制力が伴わない限りは生きてる限り基本的には自分の判断が全てでその連続だけど、それを全て「自己責任」という言葉でくくれるかって言ったらそれは違うと思うのね。結局「自己責任」という言葉が好きな人達は、よっぽど自分に非常厳しく生きている立派な人なのか、ただ単に他人を批判して自分を優位に見せようとしているのかそんな感じゃないかなと。たぶんね、自分に使う分にはいいと思うんですよ。だから他人に使う言葉では無いと僕は思います。
まあ、自業自得とか言っちゃってる人達がいることに愕然としてるわけですが。まあ生きてる限り常に何らかのリスクははらんでるわけです。それがいつどのような形で訪れるかはわからないし「自分はそうならない」なんて言い切れる奴はおこがましいですね。地震で家が潰れて下敷きになったら「そんなボロっちい家に住んでるから悪い」、道歩いてて通り魔に殺されたら「そんな道を歩いてるのが悪い」とでも言うんでしょうかね。活火山であったというリスクはあったにせよ、あんな突然噴火するなんて予測なんて出来ないわけだしなんでも批判されちゃ困りますよ。まあ学者が言うように火山には極力登らないことが一番のリスク回避でしょうけどね。
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