居場所的な何か

先々週にハートネットTVで4回にわたって「20代の自殺」についてとりあげらていたのでずっと見ていたけど、今日5回目となる視聴者からの声ということでもずっと見ていた。
思ったことは、居場所が無いんじゃないかって。本当に安心できる場所が。自分が抱え込んでいるものを素直に吐き出せるところ、受け止めてくれる人、そういうのが無いんじゃないかって思う。自分に置き換えても、リアルで自分の抱えているものを吐き出せるところはまず無い。言いづらいっていうこともあるし、言った所で真剣に聞いてもらえない。むしろ否定されると思うとますます自分の中で貯めこむしかなくなってくるわけで。それが余計孤立感と、絶望感を生み出しているんじゃないかなと。結局のところ、はけ口はネット上になってしまうのね。そういう人って相当いるんじゃないかなって思います。でもネットはネット、本当はリアルな場で耳を傾けてくれる人、受け入れてくれる場所を求めている。だからスタジオで話してた人たちは少なからず収録の間はすごく気が楽になったんじゃないかなって。収録終わってから楽屋で「皆が近くにいればいいのに」的な事をって言ってた人いたけど、あれが心の底からでた素直な思いだと思う。自分だけじゃなくて、似たようなことを思っている人がこんなにいるのかという意外性と何処かしらの安心感みたいなものを感じた人が視聴者を含めて多かったんじゃないですかね。否定的な意見も少数あった様だけど大多数が肯定的、共感だったというし。何かしら抱えている若者たちが気軽に集まれるような場所があればいいとは思うけね。でもそんな場所がなかなか身近にない。じゃあ自分で作るしか無いのかと言われたらそんな勇気もないもので。
でもそんな若者もいずれは若者で無くなる。そうなったときにどうなってしまうんだろうかって。居場所が見つかった人はいいけどずっともがいている人、動けない状態でいる人達は年をとった時どうなってしまうんだろうかって。結局は死にたいという思いから逃れられずに自殺してまうのか。

誰しも一回ぐらいは死にたいって思ったことがあると思う。ただ、ここで出てきた生きづらさや死にたいという気持ちってそんな単発的なものじゃなくて継続的なものだから。「死にたいってのは生きたいの裏返し」っていう人もいるけど、ある意味正解かもしれないけどでも違うと思うね。根本的には死にたい・消えたいってう思いが巣食っていて、その上で生きるということと日々葛藤しているのだと思う。まあ今死ぬ理由があるかって言われたら「あるといえばあるしないといえば無い」と答えるけど、別に生きる理由も無いんだよね。「今なら苦しむことなく楽に死ねますよ!」ってジャパネットかなんかであったら、それに乗っちゃうかもしれない。「生きててよかった」って一瞬なら思えるかもしれないけど継続して思うのって無理だなあと。生きている以上苦しみからは逃れられないんだよね。今日も日本の何処かで皆苦しんでいるんでしょうか。

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明日は我が身

「すみません。採用はもう締めきってて、HPの方更新が遅れてまして・・・」今まで全く気づかなかったけど、市内から外れたところに良さそうな企業があったので問い合わせたらこの通り。今どきメールでの問い合わせができないってどういう事だよ。電話とか緊張して声震えたわ。まあかなり30人ぐらいの小さな会社だし新卒しか採用して無さそうだったのでまあ仕方ないのかね。
さて、昨日久々にハロワへと行ってきた。とりあえず求人の応募状況の確認、結構前から掲載されてる求人のようだけど、未だに採用に至ってない模様。採用基準のハードルが高いのか、もしかしたら空求人かもしれないねとのこと。どうやら40、50代の結構受けていた形跡あったよう。なんだろう、今はまだ若いっていうだけでなんとかなるのかもしれないけれども、その年齢で職を失った場合ってホントどうすんだろって思う。誰もが知ってる会社の技術者なら中小も欲しがるかもしれないけれども、これといった職種でもなければ終わりでしょう。いや、専門職でも厳しいのかね。年取ってるってだけで。だれにでも当てはまることだから他人ごとではないよねって思う。
ハロワの人と雑談もしたけど「この街は保守的だし、県内でもこのエリア自体ぱっとした産業、企業がないね」と。まあそうだと思いますよ。県内の産業の中有心は西部だし、近隣の産業は衰退する一方だし。この街も昔いろんな誘致があったみたいだけど、地権者やらの地域住民の抵抗で全て反対。だいぶ前から話になってる公共事業の件も未だに争っているのを見ると、昔の光景というのが想像できますわそりゃ。まあこの街も今よりは多少なり潤っていたかもしれないです。なんだか人口流出も上位に食い込んでいるようだし、見て感じる通り働き口が少ないのでまただでさえ少ない若年層は流出する一方ですよ。地元に戻ってこようとしても、納得できそうな民間企業って職種にもよるけど数少ないだろうし、公務員目指すか僕がやろうとしていたように医療職を目指すかしかないような気がします。まあ初めから地元で民間企業の転職活動は厳しいよななんて仕事辞める前からわかってたことだけど、いつの間にかそんなことすら忘れてるんだよね(笑)これが時の流れ。仕事と住む場所、切っても切れないものだと思います。働き口が少ない、だからみんな都会へ行くし地元を離れるんだと。仕事があるから人が集まるのか、人が集まるから仕事があるのか。

そういえば千葉の富津市が数年後に財政破綻するかもしれないとのことらしいですね。ホントかよって思うけど、多分本当なんだと思う、詳しいことはしらんけど。富津といえば大学生の時も労働者になってからもよく行ってたところなので馴染みはあるけど、まあド田舎ですよね。富津というよりあの周辺一帯がド田舎です。京葉工業地域だから千葉から富津にかけての海沿いは働き口ありそうだけど、他に何もないので住みたいとは全く思えないね。木更津に行けばアウトレットがあるくらいだからなあ。まあ幾ら工場があっても街自体に魅力がないから皆、神奈川だとか東京、千葉市より西側へ出て行っちゃうんだろうけど。
まあ削るところ削るのだろうから、役所勤めの人も大変だろうね、特に若い人たちは。まあ公務員批判は出るけどなんかなあと思うわけです。公務員たって、国家公務員、地方公務員とあるわけで。総理大臣、議員、官僚、知事、市長だって公務員だし、一般職の技術職も人も教員も消防士も警察も医療職の人も公務員なわけで、全部一括りで公務員あーだこーだっていうのは可哀想すぎる気がするけどね。その中で仕事内容と給料がが明らかに見合ってない人間だけ批判されるべきなんだろうけどブラックボックス化されてる(されてんの?)なら、まあわからないよねって。そりゃ公務員だって民間(よほどの企業じゃない限り)だって年取れば給料は高くなりますよ。言われてるほどほんとに高いんですかね、まあ本当のところはよくわからんですけど。民間並みに給料下げろって言うけど、じゃあどこまで下げればみんな気が済むのか、そこは疑問ですかどね。まあ逆に公務員の中には「勉強して試験突破したたんだからこれぐらいもらって当たり前」と、既得権益を正当化する人もいるだろうけど横暴な意見はそれは認めちゃいけないわけで。難しい問題だけど、財政厳しいなら人件費削減は当然正当化されるべきだと、それだけは思いますよ。

まあ今よくても、この先長い目で見れば日本中ヤバい自治体ばかりなんじゃないのかなって思います。高齢化による社会保障費の増大。生産年齢人口による税収減。産業・企業の少ない自治体は今も悲惨だけど今後もっと悲惨じゃん。北海道旅してた時に色んな所で「自衛隊歓迎」の看板をよく見かけた。自衛隊反対してる人達がいる一方で必要としている人達もいるわけです。そりゃ人が増えるわけだから何もない田舎町は潤うよねって話。あと長万部行った時とか駅前とか周辺にやけに女子大生っぽいのがいるなあと不思議に思ってたけど、銭湯のおばちゃんに聞いたら東京理科大のキャンパスがあるとのこと。こんな田舎町になんで理科大?と驚いたけど。紋別でも「前は大学があって学生がいたんだけどね」と地元の方が言ってたけど、まあ自治体にとっては学生がいるだけでだいぶ違うなかなと。
最近思うけど原発って本当に不要なのか?って思います。未だに福島第一原発が解決していない以上、いいイメージはないです。だけどが、原発によって雇用を生み出すのと自治体が潤うという事実は否定出来ない。失礼でもなんでもないけど、だいたい原発があるところは田舎町ばかりだし、そんな町が生き残るには結局そういうものに頼らざるをえないんじゃないかなと。福島の原発周辺もそうだし、県内だと浜岡原発のある御前崎市は糞田舎ですよ。交付金もらえて町が潤い、雇用も生み出す。結局電力なんてほとんど都市部で大量に消費してるし、都会になんて絶対建設できないのだからるのだから利害が一致してるわけじゃないですか。まあ事故が起きた時のこと、使用済み燃料の処理だとか考えたらなんとも言えないけどね。まあ今ある原発廃止にしよう!と言うのははいいけど、労働者達は何処へ行けばいいんだろうね。生活は?家族は?傍から見たら理解できなくとも、そこで暮らさざるをえない人達、生活基盤が出来上がってる人達だっているじゃないですか。昔炭鉱のだった町は今廃れてます。「昔は原発の町だった」とそうなるだけだろうけど、「廃れた」じゃなくて「誰も住めない廃墟の町になった」ってなったってそれもねぇ。だから難しい。
どうやら富津も東電の火力発電所からの法人市民税が今は0らしい(ニュース情報)ので、今回その影響も少なからずあるのだろうけど。完全に依存状態。こう見ると依存しないとやってけないほど地方は衰退しているわけで、田舎に限ったらもう死に体だろうと。
老人は増える。働き手は減る。働き口もない。だから都会へ出る。地方に活気が無くなる。死んでいく。まあ貧富の差は昔から有れど、日本全体で見ればどんどんジリ貧になって行くのがわかりますわ。なんかいい解決方法ってあるんですかね。「そんな田舎に住んでるわけじゃないしどうせ住まないのでどう、そんな事でもいいよ」それが当事者以外の大多数の人達にとっての答えだと思います。萎えチンですよ。

10年

朝方だいぶ冷え込んできたこの頃、さすがに掛け布団一枚に半袖スタイルじゃ寒いのも無理は無いです。小便の回数が増えたのはお茶の飲み過ぎなのか、寒くなったからなのか。糖分の取り過ぎは良くないと思い炭酸飲料やジュース類を飲むのを止めてお茶ばっかり飲むようになったけど、同じく飲むヨーグルトも結構飲んでるので結局意味が無いのかね。明治のブルガリアも美味いけど、地元の牛乳会社が売ってる飲むヨーグルトは濃くて美味い。

ここ数日で仮面ライダー555を全話見ていた。全話通してみたのは初めてだったけど面白かったし、未だにファンに根強い作品だって言うのはわかる気がする。デザインが好きじゃなかったけどちゃんと見るとかっこいいね。中3の時に放送してた作品だけど、おそらく当時見ても面白さが理解できなかったと思ってる。所謂平成ライダー作品は全部見たわけじゃないけど、2000年のクウガから始まって仮面ライダー剣あたりまでは子どもには重すぎるシリアスな話の作品ばかりという感じ。555に限って言えば主人公がとうの昔に死んでいて実は怪物だったとか、サブのライダーが首の骨をへし折られて殺されたりだとか、子どもが見たらトラウマになっちゃうでしょって(大人が見ても衝撃的なのに)。戦闘シーンよりも人間模様を見せる方ほうが重視されている様で、子供向け番組というよりは大人向けの本格ドラマ。昭和作品と違うのは全編通して話につながりがあるところで、その回毎に話が終わるわけじゃなくて、ちゃんとした連続したひとつの作品としてなってるところが、今大人が見ても普通におもしろいと思う。むしろ大人じゃなきゃわからない。
来週で終わる鎧武でこそ話が進むにつれて昼ドラ並みのドロドロとした人間模様が描かれていたけど、見せるところはちゃんと見せてるので子どもが見ても大人が見ても面白い。制作側にとってもあの頃の作品って言うのは昭和ライダーとも今のライダーともどっちつかずの模索時期だったのかね。
この555という作品、去年ブルーレイ化の記念で主要キャストが10年ぶりに集合したってのが話題になっていたけど今更その動画を見た。10年経ってもあんな楽しそうにしてるだなんて相当現場の雰囲気良かったんだなあと思う。たっくんこと半田健人は春先の映画で久しぶりにファイズに変身してて、だいぶ声が渋くなってたけどそれがまた10年の歳月を感じるわけです。やっぱりヒーローはいつまでもヒーローなんだよね。もうそういうイメージが付いてしまうけど、そのことを本人も誇りにしているようだけど。

10年って長い。そして残酷ですよね。当時15歳、10年後の25歳。あの頃の僕は一体何だったのでしょうかね。その1年後の26歳。あまりにも人生がクソすぎてどうしようもなくなっている状況。こんな姿を15歳の僕は想像していただろうか。日が経つにつれていっそ自分の人生が他人ごとの様に感じて仕方がないです。早く終わんないかな、そう思うばかり。
近況を言うと家の近くに機械設計事務所があることを知り、自社サイトのみで求人があったので問い合わせたところ、速攻で「6月に2人採用したばかりだからすんませーん」とお祈りメール食らったという。まあそう上手く事は進まないです。今の状況も今までの選択の結果なので受け入れるしか無いですね。文句を言ってばかりで見苦しいけど愚痴しか出てこない、そんな状況なので心も廃れてきますよね。もうふにゃちんですわ

誰かと住むということ

実家で姉夫婦と同居というかなり特殊な状況、1年経つががまあはっきり言ってだるい。家のスペースの7割型占拠されるし子供はうるさいし、気は使うし。姉としょっちゅう喧嘩してます。ホント男ですよ奴は。口悪いし、弟だからか容赦無い。僕が悪い部分もあるけど、お前が言えたことじゃねえだろってことも多い。そうやって日に日にストレスが溜まっていくわけだけど、僕が一日中家にいるのが悪いのかね。仕事してたら日中家にいないわけだし接する時間減るわけだから。
一人暮らしってすごい楽だと思います。寂しさなんてのは一時の感情。誰にも邪魔されないし縛られない。自分だけの空間を持てるのだから最高じゃないかって。家事は面倒くさいだけであって大変ではない。健常者で一人暮らしの家事が大変なんていう人がいたらそれこそ終わってるよ。一人暮らしの楽さが忘れられないと他人と一緒に住むなんて事出来ないんだろうなあと改めて思う。もし親がいても同じ空間で暮らすってなると、子供の時とは違ってうっとおしいなって。
福岡から帰ってきてから電気以外のインフラが機能していない家に戻るのはさすがに辛くて、仕方なくばあちゃんちに居候してた時期がある。けど日が立つにつれて僕のすることに対して五月蝿くなって結局一ヶ月くらいしたら家に戻ってしまった。たまに泊まりに行くのはいいけど、いくらばあちゃんちと言えど一緒に暮らすのは無理だなあと思うね。
それと結婚してる人はすごいなあと。夫婦という関係であったとしてもそこは所詮血の繋がっていない赤の他人同士だし、そんな人達が数年・数十年も同じ屋根の下で生活するのだから考えただけでストレス溜まると思う。嫁(夫)がいて子供がいて、そりゃ疲れますよねって話。絶対に一人になれる空間を作らないと息が詰まるよ。俗にいう「男の空間」、そして書斎とかその象徴でしょ。何年も住んでりゃ些細な事が積み重なって大きなストレスになるだろうし、互いに我慢の連続なんだろうと思うと僕には耐えられない。たぶん無理っすね。
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