アップダウン

先日高校の友人たちと登山をしてきました。
一番高い山でも392mと低山が連なる沼津アルプスと言うところで、先日皇太子さまも登山した所でもある。低山といえど、アップダウンが非常に激しく登山するには十分すぎるほど。
友人達は以前登ったことがあり、前回とは反対側からスタート。曰く「まだこちら側から登ったほうがまだ楽」とのことだったけど、その意味が登っていくうちにだんだん分かってきた。とにかく急斜面が数か所あり、段差も高く「あー落ちたら死ぬな」と、とにかく怖かった。自然と言うのは舐めたら行けないもので、一瞬の気の緩みが即死に繋がるものなんですよね。山じゃないけど大学生の頃、海で流されて危ない目にあったので。
まあ下りだったから良かったものの、登りだったらと思うと相当きつかったと思う。それにさすがに肥えた体で重力に逆らうのがとても厳しい。このアップダウンはかなり堪えたたし、2回ほど足を滑らせたりと、痩せろという山からの警告なんでしょうね。
最後らへんで会ったおじさんいわ曰く、「ここ登れれば、南アルプスだって平気だよー何処でも行ける」とのこと。今日のイッテQを見て友人の登山熱が更に高まったようなのでたぶん近いうちにまたどこかに登るかなと。
人生山あり谷ありなんて言うけど、僕は山にすら登ってないよ。毎日気の浮き沈みが激しいので楽しむ時は楽しみたいと思う。けどポジティブな未来を描けないというのが本音ですね
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河津

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花は咲く。でも華は無い。

先日、友人と河津桜を見に河津へと行ってきました。見ごろのピークではなかったけれども、それでも見るには十分なほど咲いていたので満足。ほんとにこんな寒い時期に咲いているんだから不思議なもんで、その鮮やかなピンク色の花弁に心もうっとり。花はいずれ散るけど、限られた時間でこんなにも輝けるならば、桜も本望だろう。

それにしても野郎二人、全く華がない。女友達一人でもいれば全く違うんだろう。女の子と花ってなんで困難にも相性がいいのだろうかと、楽しそうに写真撮影してる女の子グループを見て思ってしまったよ。被写体が景色か野郎の2択だから折角の桜も悲しむだろう。僕には春は到底来そうにない

過ぎゆく観光客を目の当たりにすれば伊豆が改めて観光地なんだなって事を実感する。
でも桜祭りが終わればここもただの田舎。いままで通りのんびりとした空気が流れるに違いない。僕も家に帰ればいつもと変わらぬ日常にも戻るしかない。

本当はね

今日は親父の三回忌。とにかく時間の流れは早くて来月で丸二年を迎える事になる。生きていれば62歳。
それにしても法事というものは実に面倒くさい、いや、親戚付き合いか。周りは40後半~50代の大人たちしかいない。親父のポジションを若象の僕が担当しているのだから凄く面倒くさいよ。やりにくい。まあ10人ほどだったが。小さい頃は「おじちゃん、おばちゃん」なんて言ってたけど今は面倒くさい存在でしかない。

法事の後飯を食べに行った。僕が受験に失敗したことに対して、というより今年で26にもなるのに定職につかず、いまだふらふら状態である事に対してあーだこーだと言われた。せっかくの飯がクソ不味く感じて帰りたかったよ。僕はどうやら「年相応」の人間ではないようなのだ。
「誰も言ってくれる人がいないからあえて言うけどさ」「今年26になるんだろ?どーすんだ」「学校でたら30だぞ」「皆より出遅れてんだぞ」おじさんたちは思いつくままに、それが容赦なく僕の心に突き刺さる。まあ余計な御世話だと。

確かにごもっともな言葉かもしれない。僕がいまだにふらふら漂流し続けてるのは自分でもわかってるし、まずいなあとは思ってる。新卒で一斉スタートの同年代と比べ出遅れてるし、時間も無駄にしてる。今時のどうしようもない若者の一人としてその印を押されるんだろう。ただ今この場で、皆のいる前で言うべきことではないことだし、わざわざそんな事言う必要もない。自分自身が一番わかってるけどその中でもがいているんだよ。過保護みたいに、結局大人ではあるが僕は未だに子供として見られているんだろう。
おじさんたちはずっと同じ企業で勤めててそれなりの役職にも就いてて所謂典型的な昭和の人間。ベルトコンベアーに乗って豊かな時代を生きてきてあと数年働けば定年迎えてその後優雅に年金生活。人生経験は豊富だろうが皆社会的価値観が同じ。年相応でなければどうしようもない奴だと吐き捨てられる。僕ら今の若者の事なんて分かってくれないし、僕がいくら言おうが長幼の序が重んじられてるので、若象の言葉は言って聞き入れてもらえない。反抗すれば「失礼な奴だなと」たんに切り捨てられるだけ。
それと「介護士?ん看護師?」よく聞き直される。介護士の人には悪いけれど介護職なんてやりたくない。看護師だって別に夢でもないしやりたい事でもないんだよ。あくまで仕事として選んだだけだよ。たぶん看護師というものが大変な職業だってことがわかってるので僕には向いていないってことも言いたいと思ってるんだろう。僕もかなり思ってるんだけどね。他の医療職も考えたが受験やらなんやら、家から離れるとなるとなかなか難しいところ。
民間に就職できるならしたいとは思うけど、そんな簡単に未経験の人間を雇ってくれるようなところが少ないのが現状なんだよ。新卒3年制度はどうやら今年いっぱい使えるようだけど、結局のところ企業的には既卒扱いだろう。僕は結局選べる側ではないんだって。もうできる仕事も限られてる。

夕方、以前の職場の人から電話がかかってきて、他の人達とも喋ったけど相変わらず元気そうだった。辞めてからあっという間に半年経ったけど、なんか昨日様な感覚だったと思う。そう思うのは、やっぱりみな仲が良かったからなんだろう。電話きったあと何処地なく寂しい気持ちになった。


実はね、補欠合格という形で最終的に合格したようなんだけど蹴ってしまたよ。周りの人間に誰一人言っていない。そのまま受験に失敗したということで通してる。結局本当に納得行ってないのかいざとなって迷ってしまった。僕はホームラン級のバカなんだろうねきっと。僕がダメ人間であることは認める。芯の無い人間であることも認める。この5月以降の26歳という一年間はどうなるんだろうか。とりあえず来月からバイトしようと思う。

僕はきっと

不器用なんだと思う。よくくだらないことで悩むし、考えたところで解決しないことでも悩む。僕の能力はいったい。なんでなんだと、他人を妬むし嫉妬もする。そんな事言ったって人は生まれた家も親も環境も選べないし、能力も元から違うから仕方のない事。
何であの人たちこの人たちはあんな笑っているんだろう、楽しそうなんだろうって周りを見渡してふと思う。僕もああなりたかったな。馬鹿みたいになって心から楽しむことってなかなかできない。大勢でわいわいやるとか、合コンだとかもってのほか。所謂非リア充型。もう身に沁み込んだ毒素は一生抜けない。これは所謂リア充型の人間には分かってもらえない。
感情表現も、意思の伝達も下手糞。性格は年々ひねくれて行く。とにかく満たされない。何かに、誰かに受け入れてもらいたい、認めてもらいたい承認欲求だけが募っていくけれども、僕には持てるモノなどない。知性だったりルックスだったりユーモアさなんてないし、金もない。頭いい奴だったり、身長う高くてイケメンだったり面白いやつを見るととかホントうらやましいよ。

まあ今の僕は幸か不幸かと言われたらまだ幸なほうだと思うよ。住むところもあるし、飯食う余力もたまにビールも飲無余力もある。でもね、何かに満たされてないんだよね。そして一寸先は闇だけどね。それにまだ若いけどもう若くないんだなと。近い年齢の人間なら分かるだろうこの気持ち。20後半の焦りみたいなもの。
あと何年後の事か、きっとウンコを垂らしながらのたうちまわって死んでいくのだろうか。いずれやってくる現実から目をそらすのは簡単、かといって先の事を考えすぎて足元を見ない、今この時を楽しむ余裕がないのはどうかと思う。
そう思っちゃうのはやっぱり僕が不器用なんだからだと思う。

結局どうしたいかって何が言いたいのかってさ、幸せになりたいのよ。いずれ死がやってくるんだからそれまでにできるだけ多く幸せを感じていたいんだよ。でも不器用だからなかなかそううまくいかないんだ。だから悩むんだ