それでも朝はやってくる

朝を迎えるのがとても憂鬱な毎日。「ああ、今日がやってきたのか」と、仕事をしていた時とはまた違っただるさ。ほんの一ヶ月ちょいと前までは6時か7時に起きていたのが今じゃ9時10時は当たり前。皆がとっくに活動している時間にのこのこ起きるのだからほんと気楽なもんだなあとつくづく思う。ふとカレンダーを見ると赤の×印で埋まってる。もう2月も残り一週間、×印がついてない日付を数えるほうが早くなった。

久々に筋トレをやろうと思って50キロのバーベルかついでスクワットをしてみた。15回やったところでめまい、モモの付け根あたりがつりそうになる。頭だけではなくて体まで朽ち果てていた。
夕方、まだ明るいうちに風呂に入る。そう言えば最近日もだいぶ長くなったもんだと思う。まだ寒いとは言え徐々に夏に向かっているんだあと。その前に春だけれども。浴槽から明るい外を眺める。小学生のときもこんな光景を見たことあったけなと思う。

この一ヶ月弱とにかく無気力な状態が続いてる。この間何したのかよく覚えていないし、昨日何したとかあんまり記憶がない。何と言うか毎日に飽きている。でも特に何をするわけでもない。僕のイグナイターは一体いつ作動するんだろうか。目的の無い一日というのは実に早く過ぎて実に虚しい。刺激の無い毎日は心の弾力を失わせていくだけ。不安は心をむしばみ、目標の無い人生は無力感で満たされる。無駄な時間とわかりつつも、若い貴重な時間なのにもたいないなと思いつつも、どこか目に見えない不可抗力が心に働いてる。
僕はオリンピック選手ではないのでナンバー1を目指しているわけではない。競争世界にいるのは同じだが決して勝負の世界にいるわけでい。絶対的な信念も目標もいまいちない。自分がこうありたいなと思っても、4年先のあまりにも不明確な輪郭を描こうにも描けない。4年ってすごく長いと思う。大学に入ったら卒業出来てしまうんだから。受ける教育と職業が一致している人ならまだしも、それ以外そんな先の自分を明確に描ける人なんてごく一部だろう。ましてや自分がどこにいるのかさえよくわかってない宙に浮いた人間達も似たようなもんだろう。
選手は結果を出せなくても引退してもその後の職はあるのだろうけれども、僕は凡人なので何かしら結果を出さなければそれでおしまい。それはそれは、もう恐ろしい暗闇が待っているだけ。
結局自分は人生になにを求めておるんだろうかと、暇人ならではの悩みを抱える。そして今日が終わる。寝たら明日を迎えることなく死んでたらどんなに楽なんだろうかと。でも残念ながら明日はやってきてしまうのだね。
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対、人

自信の無さは顔にも表れる。ここ数年どこか表情が暗く、笑った顔もどこかぎこちないように感じる。どこか自分に自信が持てない。指針の定まらないそんな状況だからこそ余計にそう感じるんだろう。そして何より人と接することが非常に怖い。人と接しない期間が長くなればなるほど重症化してしまう。新しい仲間を作りたい、人脈を広げたい、新しい人達とのネットワークを築きたい。そう思っているけれども、その入口に立つことが怖い。極度の人見知りではあるがそれだけではない。
生憎、世間話やおもしろいネタ話は持ち合わせていない。残酷な事に、面白くない人間(話だけでなくて)というものはやっぱり相手にされない。最初は良くても次第に人は自然と遠ざかっていく。そうなんとなく学生時代経験したこと。
「俺はやっぱりつまらない人間なのか?」
自分を何処まで晒していいのか、相手にどこまで心を開けばよいのか、そして信用していいのか。人との距離の測り方も歳を追うごとだんだんわからなくなってしまった気がする。そして自分という人間を果たして受け入れてもらえるのだろうかと、ただ不安で卑屈になる。人が怖くてネットの世界に逃げ込んでもそこは一時的な空間。仮面をかぶっても生きていける。でも今生きてるこの現実世界からは逃れられないし、向き合わなくてはならない。仮面をかぶって生きて行くのはつらい。

いろんな要素が複雑に絡み合って僕の意志に反して行動を抑制する。
一人でいるということは好きだがやはり人間そんな強くない。一人で出来る事には限界がある。そして飽きる。何をするにしても感動や興奮を共有したい、分かち合いたいと心の奥底から渇望してしまう。だからこそ仲間がほしいしパートナーがほしいのだと思う。自分と気の合う人間というのはこの広い世界のどこかに必ず存在していると信じてる。機会はいくらでも転がっていると思う。ただ負の感情を乗り越えて、そこに踏み込んでいく勇気と自信がないだけなのかもしれない。

日々自問自答

何が楽しいのか何が幸せなのか。そう、自分にとっての「幸福」とは何か、毎日馬鹿みたいに自問自答してる。そしてこの先、自分はを何を求めて何を望んで何をどうしたいのか、毎日アホみたいに自問自答している。でもすぐに答えは出ない。
一向に定まらない指針。まるで樹海の中をさまよってるかのようだ。助けを求めたところで誰も助けてくれない。自力で出口を探し出さなければならないそんな状況。先の見えない不安に日々押しつぶされそうになりながらなんとか堪えてる。
そんな時は本やネットの世界に入り浸る。でも気付けば再び現実が襲ってくる。そんな日々の繰り返しだ。

珍しく雪

窓を開ければ一面銀世界・・・とは行かなかったけれども珍しく静岡でも雪が降った。何年ぶりなのかは分からない。少なくとも僕の住んでいるところはほとんど降らないしまず積もることもない。最後に積もるぐらい降ったのは小学生の時だったかなか。今この歳になってものすごく感動をするわけではないけれども、でもどこか少年の様な気持になるのね。明日になれば富士山や遠くの山は雪化粧してるんだろうな。しっかしテレビで見る東京は、予想をはるかに超える積雪量で思わず笑ってしまった。全てのものが密集している東京と言う街は便利である反面、何かあると非常にもろいなあと改めて思う。今日が土曜日だったからよかったけれども、これが平日だったらと思うと悲惨だったことは間違いなかったはず。学生はまだしも労働者達はこんな交通機関が麻痺した状態でも必死に出社したんだろう。きっと駅員さん達は社畜に罵声を浴びさせられてたんだろうな。そんなぼくも辞めないで今頃仕事してたらどうやって職場へと行っていたんだろうか。そう考えるとぞっとする。たまに東京に戻りたいなあと思うけれど、やっぱりずっと住む様なところではないよなぁ。
それにしても僕は雪国なんて到底住めないと思う。寒いのは嫌いだし雪に対しての術なんて知らない。雪国育ちの人間にとっては何の抵抗もないのだろうけれども、非雪国で育った人間なんて分からないことばかり。学生時代、雪が降ったからと外に出たら思いっきり滑っておケツを強打した。一瞬骨折してしまったんじゃないかと、大の大人があまりの痛さに泣きそうになったのを覚えてる。それといかに太陽という存在がいかにありがたいか。ずっと悪い日が続くだなんて気持ちが落ち込んでしまって僕には耐えられない。日の光が気持ちに与える影響って普段気付いていないだけで、かなり大きいんだろうね。夏の太陽は嫌いだけれども、寒いよりは暑いほうが体も動くし心も高ぶる。早く夏が来ないかなあと思う。

どこもかしこも雪ばっかりに気を取られてるけれども東京都民は雪よりも都知事選のほうが大事だと思うわけですよね。
まあこんな寒い日は昼間からお風呂に浸かるのが一番ですね。

神社と欲望

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一昨日に引き続き、今日は友人と箱根神社で行われる節分祭へ行ってきた。相変わらず観光客がいっぱい。相変わらず中国人が多いのだがやっぱりそれだけ人気のスポットなんだろうね、箱根は。それにしても平日にもかかわらず、こんなところに来るなんてみんな結構暇人なんだなあと。そう言う僕らも暇人なんだけどね。まあみんな考えることは一緒で豆がほしいわけじゃなくて景品狙い。
しかし何と言えばいいのか、人間の欲望ってホントすごいなと思うわけで。くじ番号が入ってるので豆袋が飛んでくるやいなや、凄い勢いで取り合いになる。まるで餌に群がる鯉大群のような光景。人間と言うのはなんて欲深き生き物なんだろうと、目の前で起こっている事を見ながらずっと思っていた。そんなことを思いつつもこちらのほうに豆袋が飛んで来れば僕も必死になって手を伸ばすわけで。どこか滑稽で仕方ないな。そんな僕も罪深き生き物。場所どりが悪かったのでほとんどこちらには豆袋は来なかった。一つ掴んだけど、くじ番号は入っていない「はずれ」だったわけでちょっと不完全燃焼だった。しかしこんな神聖な場所で欲望が渦巻いてでいいのだろうかと(笑)

それと最近思う。無宗教なのにご利益の神様とか学問の神様とか縁結びの神様とかさ、ほんと個々の欲に対してはみんな必死になってお願いするよね。欲を叶えるために神様を利用しちゃうのってのはすごいよね。まあそう言う僕もそうだけれども。お願いしたって、お金持ちになれるわけじゃないし、勉強できるようになるわけじゃないし、素敵な人が勝手に向こうからやってくるわけないし。こんなことを知らない人に言ったらきっと嫌われちゃうよな。なんて夢の無い人間だって言われて。まあ「ミッキーの中身は・・・」と同じレベルの話だから仕方ないとは思うけど(笑)
しかし何でも神様にしちゃうし、八百万の神だなんてほんと日本人は都合いいなあと。悪いとは言わないけどね。

2月の始まり

今日から2月、一年の12分の1が終わってしまったわけだ。一日なんてあっという間、一週間なんてあっという間、一ヶ月なんてあっという間、一年なんてあっという間。こうやって時間は過ぎて行く。そうして歳を取っていく。学校を卒業し、気付けば働き、そして無になっている自分がいる。一体どれだけ時間を消費してきたんだろうか、そしてこれからどれだけ時間を消費するんだろうか。
何かを成すには日々コツコツと積み上げて行く必要がある。急に物事なんてできるはずもない。そんなのは分かっている。頭では分かっているけれど実行が伴わない。何かを積み上げて来なかった自分には持てるモノが何もない。だから自分に自信が持てないる。でもね、何を積み上げていいのか分からない。だから悩んでる。20代半ばになって悩んでも仕方ないのかもしれない。でもまあ、受験が終わっ、て2週間以上経過したわけだし、来年の今頃を見据えてぼちぼち計画を立てて行こうかな。人生うまくいかないことのほうが多いからどうなるかは分からないけれども。

さて今日は、間もなく開通する東駿河湾環状道路が開放されるということだったので友人に誘われて行ってきた。
まあはっきり言うと、新しくできた道路をただ歩くってだけのイベントなんだけど思っていた以上に人がいてびっくり。まあほとんどがじいさんばあさんと家族連れ、若い女の子がいることを期待していたけれども全然いなかったのが残念。山を切り開いたところだしこの辺一帯のは殺風景なのでさして面白くはないけれども8キロ近く歩いたのでかなりの運動にはなった。どこか見たことある様な風景だなと思ったらまるで館山道みたいな感じw一瞬千葉に来たのかと思った。まあこれで東名から一本で伊豆中央道へ乗れるので、伊豆へ観光しに来る人にとっては便利になるんじゃないのかもしれない。ただ、地元民にとっては交通渋滞がうまく緩和がされるのかそこだけが心配事なんだろうけれどね。
しかし車持ってる人はうらやましい。車離れなんて経済界の連中はぼやいているけど、実際は欲しくても車自体高いし、維持費がかかるのでけないというのが現状なんだと思う。こんな金食い虫、金のない人間にとって超高級品なわけで。電車で移動が当たり前だった東京で生活と比べたら地方での生活なんて車なしじゃ生きていけない。やっぱり地方は車社会なのです。高校卒業後に就職した友人達は通勤のために皆自分の車を持ってるしずっと乗ってるから運転も慣れたもの。大体この歳だと皆働きだしてるし車持って乗ってるのが普通(というかある種ステータス)なんだろうけれども、僕はそんな余裕はないので原付で十分です。まあ車に手が出せない分、バイクは切実に欲しいなと思う。