一人ということ

会社を辞めてからというものの人とのかかわりが急激に、いや、殆どといっていいほど無くなっている。姉ちゃん、義兄、ばあちゃん、近所のパン屋のおっちゃん・・・・。ホントに身近な人だけの付き合い。まだ働いている時から合った不安。そう、人とのかかわりが減ることだ。
自分の視野が狭くなる。これは辞める前から不安視していた事。僕は積極的な性格ではないし、人見知りで引っ込み思案なほうだ。心を開ける人間も少ない。

先日新しく机と椅子を調達した。ここのところ涼しい日が続いていて過ごしやすい日々が続いている。外を眺めていると青い空に白い雲。ふと思うと「俺は一人ぼっちだ・・・」と思ってしまう。同級生たちは今頃働いているはずだ。お金も稼いでいることだろう。会社の人や友人、もしくは恋人、家族で楽しい一時を過ごしていることだろう。そんな中孤独を感じている。ただ昔の様な精神的におかしくなりそうな孤独感は今は皆無だ。まあ寂しいなぁという思いはあるけれども、まあメンタル強くなったのかなぁ。

僕は受験生という立場だけれども浪人生、特に10代の自宅学習者ってすごいなあと思う。周りが進学して充実した学生生活送っている中、一人黙々と勉強に勤しんでいるんだから。メンタル相当強いんだろうなと尊敬してしまうわ。僕が同じ歳の頃だったらそのまま潰れていたかもしれない(実際にに21位歳の時潰れたけどw

だれしも誰かとつながっていたいと願っている。一人は寂しい、何歳になったってそれは同じだと思う。まあでも若いうちは一人になることもいい事なのかもしれない。歳をとってから初めてそう思ってしまったらもう再起不能なまでに潰れるんではないかと僕は思う。早めに「孤独」と向き合い、苦しみ、もがいたほうがいいのかもしれない。周りに合わせなくてもいいわけだしいっそ自分と向き合ってみるのもどうなのかなと。
とは言え、これからも生きていれば孤独になることで感じることはいくらでもあると思うが。
一番良くないのは寂しさに負けて誰かに依存すること、身をゆだねること、肌を許すこと。
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雨に降られ

気がついたら有給も終わり、3日前に会社を退職していた。そして本当の無職になっていたw今日最後の給料日。有給消化できたホントよかったわ。
さて、昨日は母校に卒業証明書等を取りに行ってきた。すれ違う先生は全く知らない人ばかり。7年もたってたら結構変わっているんだろうなあと。それと掲示板をちらっと見たのだがどうやら資格修得に力を入れてるような。在校生も結構頑張っているぁあと。自分がいたころと制服も、入試方法も、カリキュラムも全然違う。それと恐らく女の子が増えている!こんな時代だからこそ工業高校も人気が出始めたのかなと。時代の流れってやつですかね。

今日は2度外出したら2回とも雨が降ってきてびちょびちょ・・・。原付移動なので雨は避けられないし、滑るのが怖いし、、目が痛くて前がよく見えない。とんだ災難だった。
センターの受験料をおさめ、残りの貯金を複数の口座に別けてきた。「全部一緒にしてたら使っちゃうから別けて来い」、姉が口うるさく言う。この歳になっても姉の管理下にあるとは何とも屈辱的。ただ的を得ているため逆らえない・・・貯金も日に日に減っていく。普通に暮らしていくだけでも維持費はかかる。家に納めるお金、奨学金、年金・健康保険、携帯代、ネット代、固定費だけでも約6万。それにちょこちょこ変動費も+
センター試験の受験料だって18800円(成績通知込)もかかるのだ。金がなければ何にも出来ないのです。
通帳から引き落とした札束を見たとき自分の滝の様な汗水流し働いて得た結晶だと改めて思った。金を稼ぐのには時間も労力も消費する。今までそれは親がやってきてくれたことだけれども、もう自分で何でもやらねばならない立場。経済的に自立した一人の大人だ。

20代の折り返し地点で思うこと

ワタミ 「25歳までに頑張れなかった人は人生取り返しがつかない」

今までストレートに生きてきた人間、とんとん拍子に人生進んでいる人間からしたら僕という存在は異端児だと思う。引きこもり(留年)、就職失敗、転職。彼らは僕を笑うだろうか。下の世代からしたら「だせー」とか「こんな人になりたくないな」そう思われるかもしれない。
25歳。その数字が大きくのしかかる。正直思いは複雑。高校を卒業して早7年。同じ工業高校を卒業して、すぐ就職して行った友人たちはすでに6年目のキャリアを積み、今年で7年目となる。大学をストレートに卒業して働いていれば今年で3年目。大学院卒ならば今年から。これから徐々にキャリアを積み上げていくことだろう。僕はこの歳になり、そこまで働いたという実績はない。ましてやこの歳で違う職業、そのための学生になろうとしている。どう見ても普通の人(先に書いた人たち)たちからしたら異端児だ。
それでもいい。この先の事を思えば今の状況からしたらそれが自分にとっての最善策だと思ったから。親戚や昔から僕を知っている大人たちは心配してくれている。でも心配しなくても、どうなっても僕の人生だ。たとえ死んでしまったとしても。
もし自分が15歳の中3であれば仮に大学まで行き、働くまで残り7年、18歳の高3であれば4年もある。色々考える時間、猶予はあるのだ。早くからその道を志しているならばそれに越したことはないと思う。金がある家ならば本人の頑張り次第でいくらでも投資してもらえる。金がなければそれすらできない。そこはいたしかたない事。
今文通をしている相手の一人に15歳の子がいる。その子は医者になろうという高い目標があると言っていた。年の割にしっかりと文面でこちらが驚いたほど、もしも僕が同じ年だったらこんな文章は書けないだろう。志した高く、しっかりとした人間もいるのだ。年齢は関係ない。僕もその頃やりたい仕事があったな。でも現実は違ったけど。

大人たちはやりたい仕事、なりたい職業を探せとせかす。そんなもの分かるわけがない。この歳になってもそんなものよくわからない。ましてや10代の人間に言ったところで。自分の経験、そして小さな脳味噌を振り絞ってもそんなもの分からない。そして考えなんて成長するたびに変わる。自分を取り巻く環境や経験で変わる。昔描いていた夢はどんだけ浅はかであったか、いつかは現実という壁に打ち砕かれる。
「あの有名な企業に行きたーい」そう思うのは勝手だ。そう願ったところで容姿、学歴、コネ、ましてや何万といる学生と勝負しなければいけない。その中で選ばれた一部の人間が笑っていられるのだ。凡人、そう言う人のほうが圧倒的に多い。採用試験に落ちたなんてどうってことない。それで人生決まるならばそんな滑稽話はないと思う。失敗したら次の道を探せ、ただそれだけのこと。
大企業に受かる方法を模索している暇があるならば、今後どういう生き方をしていきたいのか考えたほうがそっちのほうが大事だと僕は思う。

25歳にもなると仕事のことや、もっと先のこと、そう結婚のことを意識するはずだ。すでに結婚した友人もいるわけで、昔好きだった子もいずれ結婚するんだろう。周りが大人の階段を順調に登っていく中で僕はまた一からやり直す。みじめなきもち?そりゃそうかもしれない。でも周りはそこまで僕の人生など気にしてはいない。多少心配はしてくれるだろうけども。
まとまりのない文章だけれども、どこかで躓いたりくじけたりそんな人間がいたら、僕の様なクソでも何とか生きているということで元気を出してもらえたらと思う。肩書きなんて所詮「肩書き」なんだから。あなたは「あなた」なのです。酒を飲むとよつい感情的な文章になってしまうのだが、まあ僕の様な20代半ばの人間でも別に今までどおりの、親たち世代から引き継いでいる所謂「昭和的価値観を」脱却してもいいと思うのです。ストレートに生きなくたっていい、躓いたっていい、遠回りしたっていい。そこに批判などあろうものならその人はそれだけの狭い価値観でしか生きていないつまらない人間だと僕は思うのです。自己正当化かもしれないけど、みんな似通った、一つの道がよいとされている日本で、いろんな道・いろんな生き方があったって言いと思うのですよ。多様性というのだろうか。悪いことをしているわけでもあるまいし。最終的にはその人が幸せになればいいのですから。

思い出は音楽とともに。

昨日の半沢直樹面白かったなぁ。正直今まで全然見ていなくて昼間にやっていたダイジェストを見ただけで、最終回を見たのだけれども、それでも面白かったと思う。堺雅人との演技も好きだが、香川照之の演技も好きだ。正に「悪人」、あんなに悪役を演じるのがうまいというか似会う俳優はいないんじゃないかと思う。恐らくこの二人は「ゴールデンスランバー」や「鍵泥棒のメソッド」で共演しているので現場では中いいんだろうなあ。
最後の展開はなんとなく予想はできていたけれども、まあ組織なんてあんなものなのかと。あくまで物語の世界だけれども、現実的に上の人間にあんなに堂々と言える人物がいるのだろうか。あそこまで突っ込んでしまえば間違いなく首を切られるだろうと思う。僕は銀行業界は知らない。そして大企業も知らない。大きな組織の中で働くという経験がないし、これからもそんな機会は恐らくないと思う。看護師になれたとしても、病院は大企業ほど巨大な組織ではない(はず)。まあ身分がエラク上な医師やらお局看護師との攻防はあるとは思うけれども。

さて、「あの花」の映画を見てからZONEのトリビュートアルバムをよく聞いている。思春期の時にい聞いていた音楽はその後の人生に影響を及ぼすらしいということを前にも書いた気がする。ZONEは僕がちょうど中学1年生の時にドラマ「「キッズ・ウォー3 ~ざけんなよ~」」で知った、今で言うガールズバンドだ。主題歌となった「secret base ~君がくれたもの~」は一躍有名になり、親がCDを買ってきていたしよく聞いてたな。同じ世代の人間なら分かるだろうけれどジッタリンジン「夏祭り」をカバーして有名になったWhiteberryより可愛いwといわれて言われていたけれども本当にZONEの4人は可愛かった!
音楽なんて一回聴いただけでは分からない。何回、何十回聞いてようやく良さがわかる。もしかしたら数年後に良さがわかるかもしれない。こうやって映画の主題歌となって再び使用されるというのは僕としてもうれしいし、それに元の歌を知らない世代に広まっていくというのは更にうれしい。
正直最近の音楽はよく知らない。サカナクションが好きというくらいであとは昔から好きだった歌手や、90年代から2000前半の曲、ちょうど思春期の頃の曲、大学生の時にちょろっと聞いた曲ばかり。
別に今の曲、歌手が悪いとかは言うわけでもないしい、昔の曲が好きなのは思い出補正がかかっているだけかもしれないけれども、その時その時の思い出がよみがえってくるわけでいいものでもあり、辛いものでもある。

あるものだと思って

今日は高校時代の友人と静岡へ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」を見に行ってきた。映画によっては地元の映画館では公開されず、わざわざ中心となる街へと足を運ばなければならないのが地方の不便なところ。そうなると電車に乗らなければならない。映画を見にいくだけでだけも映画料金の2倍の金がかかってしまうのだ。そこまでして映画を見るべきか?と聞かれれば別にDVDが出てからでもいいのかなあと。都会での生活があまりにも便利すぎたのか、やっぱり地方は不便に感じてしまうがそこは仕方ない。
映画の方だけれども、1年後の話が進行しつつ回想を交えた(総集編という)感じ。時折感情が高ぶって思わず涙が出そうになったけれどもまあ友人もいたということでそこはぐっと我慢。仏壇のメンマの写真はいつみても可愛いw
テレビシリーズを見た人でないと正直楽しめない感じだったが、個人的はまあ良かったんじゃないか。それに鶴子のメッセージカードもらったしw正直めんまのがよかっけれども(笑)ティッシュはもらませんでした。ああ、東京を去る前にやっぱり秩父へと行っておくべきだったかなと改めて思う。

そのあとは静岡浅間神社へと行ってきた。なぜかここは毎回行きたくなる不思議な場所。写真がやけに白いのはレンズのせいか腕が悪いのか・・・。とにかく日差しが強くて非常に暑かった。
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お賽銭もしっかりして願いを込める。果たして願いがかなえばいいのだが。願うばかりじゃ叶いっこないのだからそれに伴った行動をしないと。「神頼みしてんじゃねぇよ!」と姉が言った言葉を思い出すw
恐らく神社に行きたくなるのは、途中にある有名なおでん屋さんがあるからかなと。そこで一服した後に駿府城公園へと足を運んだ。県民なのに駿府城ってずっとあるものだと思っていたらはるか昔に焼失していたっていう事実を今日知ったw恥ずかしい・・・

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遊具で遊び回る小学生軍団、ベンチに座っておしゃべりを楽しむじいさん方、滑り台ではしゃぐ女子高生達、(僕たちも混ぜてほしかった)、公園内は広くて非常にのんびりとした時間が漂っている。ベンチに座って休憩しているとと、突然見知らぬおじいさんから声をかけられた。どうやらボランティア?で周辺案内をしているとの事で色々と情報を聞いた。あまりにも突然話しかけられたので、友人は終始警戒していたようだが。
公園を後にして、おじさんに教えてもらった県庁の展望フロアへと行ってきた。まさかこんな所があるとは知らなかったのだが静岡市一帯(ほぼ360度)が見渡すことができて素晴らしい景色だった。おじさん、ありがと!

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家で一日勉強しているのもいいのだけれども、やっぱり外にも出たいもんだ。金が減っていくのは痛いけれども、外に出て街をぶらっとしないと精神的によろしくないな。さて、気持ちを切り替えてまた頑張ろう。

これから迎える未来へ

今日テレビを見て知ったのだが、台風の影響が思った以上に凄かったこと。特に京都周辺はひどかったらしいね。僕の住んでいるところではそんなに大した被害は出ていないようだけれども、豊橋、浜松方面は映像を見る限りどうもすごかったようだった。
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夜おばあちゃんちから帰ってくると、センター試験の案内が早速届いていた。昨日請求したのに今日届くとか早すぎるよなぁ。子の案内、手数料を含め、約300円。高いのか安いのか。
僕は高校、そして大学ともに、ちゃんと受験勉強をしたことがない。なので学力は当然低い。それなのに大学生になってしまったこと恥ずかしく思う。センター試験は今回が生まれて初めて受けるわけである。大体の人が通ってきた道、自分がどれだけ点数を取れるのか試したい気持ちがどうも強い。
5教科6科目。今年から受験校の受験科目が変更になった。国公立大学を受ける現役生はよくそんなたくさんの科目を効率よく勉強できるなと感心してしまう。残り4カ月弱。全然勉強が進んでいない。正直時間が足りない。(ブログを更新している暇があったら勉強しろや!)本命は専門学校だ。筆記試験はセンター入試ほど学力は必要とされていない。けれどそれ以上に勉強をする。けれども正直大学は受かればいいなと甘えている自分がいるのは否めない。学費なりのお金の問題ははひとまず置いておいて、とりあえずは、やれることはやろう。ただそれだけだ。

さて、今日のDARKNESSの記事を読んで。
今日はおじいちゃんのいる介護施設へ洗濯ものを届けに行ってきた。
僕のおばあちゃんは足が悪く、介護施設まで行くのも容易ではない。なので原付がある僕を頼る。おばあちゃんが行けば片道1時間以上のところを僕が行けば10分程度。
数年前まで元気だったじいちゃんも、脳梗塞になって半身が麻痺し、病院、介護施設での生活になってからだいぶやせ細ってしまい、老いたのを実感する。前にも書いたが介護施設に行くのはあまり好きではない。車椅子に乗ってる老人達の姿が寂しそうなどうも心苦しい。たまにしか来ない身内を今かと待ちわびているのか、それともそんな寂しさはないのか僕にはわからない。本当は自分の家で家族と暮らしたいんだと思う。それができないからここにいるわけで。もしかしたら厄介者として入れられているのかもしれない。悪く言えば現代の姥捨て山。だが家にいる家族にも生活はある。家で、家族内で介護ができるならば苦労はしない。介護疲れで殺してしまうという事件をしばしよ聞くぐらい、それだけ人を看るというのは大変労力がいることなんだと思う。だから、何とも言えないのだ。
僕が長生きしたくない理由の一つとしてここにある光景が数十年後の自分の姿かもしれないからだ。いや、施設に入れている人たちはまだましかもしれない。金があるから。
もし一人身の老人となってしまったらどう生きていけばいいのか。誰にも見つからずひっそり死んでいってしまうんだろう。ばあちゃんもじいちゃんがこんな状態だから一人暮らしの身である。だらしない僕に世話が焼けると思いつつも僕が行くだけで話し相手にもなるし、誰かいる安心感はあると思う。

都会ではまったく感じないが地方に来ればわかる。街の衰退と老人の多さに。この国に明るい未来があるかと言えば・・・それはNOだろう。このまま沈みゆく国でどんな未来が待っているのか。
老いて身体の自由も奪われ、自身の回りの事もできず、厄介ものにされ、一人寂しく、ぽつんと施設で一生を終えるのか。それとも身寄りもいないまま、部屋で孤独死するのか。想像するのが非常に怖い。

嵐が過ぎて

嵐も何事もなかったかのように過ぎ去っていった。空を見上げればさわやかな夕空。富士山の周りにも雲はない。
そうだ、海へ行こう。急いで支度し、原付に乗って海岸へと向かう。到着したときには残念ながら夕日はすでに沈んでしまっていた。そう言えば今日は祝日だったっけ、通りで人が多く、夕方にも関わらずにぎやかだった。

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2、3枚撮り終えたあと今度は近くの山へと向かった。今日の夕空はどこかやさしい。街を走っていてもいつもとは違った雰囲気であった。なんとか展望台で写真を撮りたい、だけどもうすぐ日が暮れる。まだ大丈夫、まだ大丈夫、薄暗い道をひたすら上へ上へ。あたりは獣達の鳴き声が聞こえ、よりいそう不安な気持ちを掻き立てる。その不安を必死で押し殺し、ひたすら坂道を登っていく。
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やっぱりphotoshopかなんかで画像を加工しなきゃ駄目か・・・

やっぱり山の上からの眺めは最高だ。宝石の様な光がほんのり明るい夜空を照らしてくれている。電気が使え、夜でもこんなに明るい時代に生まれて良かっただと思う。街灯がなかった時代、月明かりだけを頼るだなんて昔の人はエラくタフだったんだと。そもそも夜に出歩かないかw
帰りほぼ暗くなった山道をひたすら降りていったけれども、こんなに怯えたのは久々かもしれない。襲われたらどうしよう、幽霊が出てくるんじゃないか・・・。身の危険を感じれば感じるほど、自分が生きているんだということが実感できるんだよな。そう思うとやっぱりまだ死ねないなと。けれど長生きもしたくない。

センター試験まで残すところ124日、専門学校で早いところは残り116日である。
旅が終わってから正直なところあまり勉強に身が入っていない。手紙を書くので精一杯だったり、パソコンやったり。1週間休館だった図書館が明日からようやく開館になるので明日から本気出す!

僕の夏休み2013 その3

  • Day:2013.09.11 19:49
  • Cat:
2013年9月10日

旅3日目。本日が最終日である。昨日の肉の影響が少し残っているのか腹がどうも重い。ただ朝食のバイキングはちゃかり食べるというw
8時過ぎにチェックアウトし、早速松本城へと向かった。それにしても山の中にあるだけあって、空気が涼しくておいしい。東京のアスファルトの熱気しかこないような空気とは大違いだ。通勤・通学ラッシュ時だったのだが、それにしてもここは中国か?と思うほど市内は自転車が多いこと。高校生?大学生?後から知ったけれどもどうやら長野県自体私服の高校が多いようだ。静岡で私服可能な高校なんて聞いたことない。

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4年前に自転車でこの地を訪れていた。その時、公園のベンチに座って地元のおじさんとおしゃべりしたのが非常に懐かしい。生憎、山に雲がかかっていたため、アルプスの美しい風景が見ることができずに残念だったな。
そして初めて松本城の中へと入城してみた。お城の中って案外狭いもので、よくこんなところで生活していたなあと(笑)しかも階段が急なので落ちたらひとたまりもない。天主の6階まで登ると東西南北4方向を眺めることができる。城主もここから街並みを眺めていたのかと思うと、これまたロマンティックである。

そのあと時間つぶしに有名な喫茶店でコーヒーとケーキをいただいた。レトロな雰囲気が心を落ち着かせる。時間にとらわれなければずっといたい様な店だ。喫茶店めぐりをこれから趣味にするのもいいかもしれない。生活に支障が出ない程度の収入を得られるのならば、喫茶店でも開きたいものである。

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ピントが合ってないw

その後安曇野方面を目指す。ここで失態を犯してしまた。電車を乗り間違えて、気付いた時にはすでに乗りたい電車が行ってしまった。この間わずか数分。気がついていればそのあともっと色々なところを回れたかもしれない。
1時間以上も駅のホームで過ごす。よくもったなぁと(笑)
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穂高駅に到着後は、レンタル自転車を借りて安曇野をサイクリング。
やはり旅は自転車がなきゃ駄目だなと改めて思った。わさび農場や、穂高神社など。ホント何処から見ても自然優雅で気持ちがいい。4年前の記憶を辿り、「ああ、ここ走ったっけ!」と妙にテンションがある。

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4年前と同じ橋から撮ってみた
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今回
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2009年のGW

服がはちきれそうw正直写真を見た本人がびっくりしているぐらい太った。そう、腹の肉が何とも言えない哀れさを物語っている。体重差約15キロ、この4年の歳月は残酷である。(これから痩せますよ
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滞在できる時間が少なかったため、かなりハイペースで回っていた。帰りの電車の時刻に合わせ急いで自転車をこいだのだが、途中で迷子に(爆)どうやら駅前に続く道に気がつかずに通り過ぎていたようだった。本日2度目の失態。
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時間つぶしに駅前のカフェ?で栄養補給。

安曇野は何もないといえばそうかもしれないが、水も景色も綺麗、松本からもそんなに遠いわけではないので長野に住むのならばやっぱりこのエリアかなと。自然があるというのはやっぱり魅力である。
最後甲府のクラフトビールを飲んでこようとしたのだが、時間がなかったために断念。そのままて身延線に乗り静岡へ帰ってきた。30近い駅、非常に長かった・・・。

こんな感じで今回の旅は終了。あっという間の3日間で、息抜きになったのは間違いない。やっぱり旅というのは非日常を楽しむものである。だからそこに日常を求めてはいけない。旅の期間が長くなればあたかもこれが日常であり、普段の生活が非日常とだんだんと感じてしまう。そうなると学校や会社には行きたくなくなるんだろうな。実際そうだったし。
正直旅と呼べばいいのか、旅行と呼べばいいのか。時間的、金銭的に制約がある以上本当の「旅」は一生できないんだろうな・・・。

さて、お金も結構使ってしまったし、息抜きは十分?なのでまたさぼっていた分、受験生として明日からがんばろうと思います。

僕の夏休み2013 その2

  • Day:2013.09.11 15:09
  • Cat:
2013年9月9日

飲み過ぎた次の日は大抵お腹が緩くなっている。予想通り、緩かったw
本日の旅は木曽路。予定が推しているため、早朝散歩がてらに大垣城周辺を散歩してきた。
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僕が当初、想像していたよりもだいぶ小さなお城であった。駅前のほんの少しのエリアしか見てないので何とも言えないけれど、そこまで大きな街ではないという印象。ただ朝は駅は学生で溢れかえっている。予定通り、電車に乗りいざ木曽路へと出発。
当初馬篭と妻籠を見たかったのだが、時間が合わないため断念して木曽福島と奈良井のみに。大垣から名古屋、そして中津川で乗り換え、そのまま木曽福島へ到着。

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観光地ということで人も多いのだろうと思っていたら全然いなくてびっくりしたwまあ平日だしこんなものか。とりあえずビールを買ってまずは栄養補給。

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江戸時代から残る宿場町、非常に心が落ち着く。昨日の伊勢神宮といい、やはり日本人なんだろうなと思う。街の一通り見終わった後奈良井のほうへ。こちらも風情ある街並みが続く。というかここしかない。途中ビールを買ってまた栄養補給。

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時間的には早いが松本市のビジホへ。夜飯にビアパブでも行こうとしたが、ここは肉が食べたいと思い勇気を出して牛角へと行ってきた。周りは男女の大いに盛り上がってる高校生集団、大学生カップル、仕事帰りのリーマン、一人で食べてる客は僕だけだったw恐らく店員も「なんだコイツww」と思ったに違いない。
孤独にならねば真の自分の向き合うことはできない。そして肉と真剣に向き合うことはできないのだ。ひたすら肉の味をかみしめ、黙々と胃の中へ押し込む。目線の先では盛り上がっている高校生集団、心底うらやましかった。楽しかろう、僕もあんな青春を過ごしたかった・・・涙で肉の味がしょっぱく感じた。
思ったけれども、今の身としては仕方ないけれども、働いたら学生がよく行くような店に行って甘んじていてはだめだと思った。リア充達へのあてつけだが、学生たちがいけないような店に行くべきだと、それが大人の楽しみ方だと。ちっぽけなプライドがそういう結論へと導いた。そんなこんなで、2日目が終了した。

まず、想像していたよりも派手さはなかったということ。観光地全体に言えるのだが、雑誌が与える影響が大きいのかもっと大きなものを期待してしまう。ただ実際行ってみると「こんなものかと」(笑)。山の中だから生活しにくいのかなと思っていけたけれども、ちゃっかりイオンがあるのねw観光地はあくまでも街のほんの一部であって、そこにはそこに住んでいる人たちの生活が感じられるわけで。
ただ自然が豊かで凄く落ち着いたところであったし、水がきれいだこと。

それと松本へ向かう電車で。学生たちの下校ラッシュとかぶったせいか、電車の中は満員状態。ちょうどドアの真ん中にいた学生たちは駅に到着して、降りる人がいるのにもかかわらず全くどこうとしないのね。一旦外に出ればいいだけの話なのに、イラッとしてしまった。公共の場であるということを考えてもらえればなあと思う。

僕の夏休み2013 その1

  • Day:2013.09.11 09:49
  • Cat:
僕にとっての夏休みがようやく終了した。3日間の旅は短かったけれども、平凡な日々を過ごす僕にとってはかなりの潤滑剤となったと思う。(しいて言えば旅先で女の子と写真を撮りたかったのだが)3日前に家を出たはずなのに自分の部屋にもどったとき、さっき帰ってきたような感覚。なにこれ
普段は旅の後、家に着くとホッとするのだが、今回は全くそんな気がしなかった。長期じゃなかったからなのかな。最終日、電車に2度も乗り遅れるという失態を犯したので結局最後に甲府でクラフトビールを飲むはずがそのまま通り過ぎて帰ってきました。
さて、そんな感じで振り返ってみようかと。旅の経路は伊勢→大垣→木曽路→松本。ほとんど長野でほとんど過ごしたような気がする(笑

2013年9月8日

早朝あわただしく支度をして家、を出て行った。朝から雨が降っていて駅にたどり着く前に濡れ濡れ、なんだか嫌な予感・・・・予想的中で静岡駅で乗り換えようとしたところ「大雨の影響で運転見合わせ」とのこと「・・・・」状態でした(笑)結局1時間くらい駅で待ってようやく出発。名古屋で近鉄に乗り換え2時間近く。お尻が痛いと思いながら伊勢市に到着。伊勢神宮を目指すが、どうやら内宮、外宮に分かれているらしい。まずは駅から近い外宮へ。駅-外宮間の道はきれいに整備されていて小奇麗なお店が立ち並ぶ。途中、前から飲んでみたかった業界で有名な伊勢角屋のビールをいただく。やっぱり旅にはお酒が付き物です。

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こっち見んな

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そのあとバスに乗り内宮へ。僕が思っていた「伊勢神宮」はどうやら内宮のほうだったらしく、人の数も凄かったなぁ。
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式年遷宮の真っ最中で、社殿を造り替えていたようだった。真新しい木の鮮やかなの色と独特のいい香りがなんとも心地い。
神道がよくわかる本を買っていたのにもかかわらず全く勉強をしていなかった。行く前にしっかり予習をするべきだったなあと思う。何がなんだかよくわからないまま人混みに紛れて、お賽銭をする「看護学校受かりますように]」そして「良い人と巡り合えますように」前者はいいとしても後者は何とも欲深いお願いごとだ(笑
それにしてもこれだけ自然に囲まれていると何かの力があるんじゃないかと錯覚してしまう。いやあ、昔の人はロマンチストだったんですね。

さて、夕方からは伊勢角屋のびやくらに行って腹いっぱいまで飲ん食べてきました。伊勢市に行った最大の目的であったかもしれない。クラフトビール飲み放題で1880円は相当安い。かなりの破格である。
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先客はいなく、あとから5,6人の団体が。話が嫌でも聞こえてくるので聞いていたけれども、どうやら職場の人間同士らしい。どうやら酒の席で仕事の熱い語り合いが始まるのはどこも一緒なんだなと(特に上の人)。8月に僕の個人的な送別会?を開いてくれたときに年齢が上の人が仕事の話で熱く語り合っている中、僕より一つ下の新人君が「酒の席くらい仕事のはなしはしたくない」とぼそっと言っていたなぁ。僕も同じで酒の席くらい楽しもうよと思うのね。そこは世代間の違いなんだなあと。20代はそういう人が多いんじゃないかって思うわけです。実際表情や、仕草にかなり敏感なので酒がまわりつつも、つまらなそうにしてるというのはすぐわかる。
そんなことを思いながらビールは胃の中へ。
それからまた数時間乗り継ぎ、大垣のビジホに泊まりのこの日は終了。とにかくケツが痛かった。

振り返って思ったのが名古屋の交通網がカオスすぎる。これは前から思っていたけれども、名鉄にしろ近鉄にしろどんだけ長い路線が走っているんだと。関東で言う東武鉄道だろうか。快速とか特急とかも本数が多くてよくわからない。近鉄は日本一営業距離が長いのとことで、伊勢に行くまでも相当長かったなと。三重県民には申し訳ないが、窓の外から見る景色ま、田園風景しか見えない、所謂ド田舎でした。

あと伊勢市も思ったよりも田舎であったこと。ビール飲みに行く前に街を1時間以上ぶらついていたが、伊勢神宮周りは賑やかなのだけれども、それ以外の駅からほんの少し外れたところからはあまり活気が感じられない。これはどこの地方の街でも同じことが言えると思う。
その県の中心となる街はそうでもないけど、それ以外の小さな街というのはどこもこんなもんなのかと。
若者が都会へと出て行ってしまうのは自然なことで、何もない街で暮らすのはつまらないだろう。そうなるとやっぱりその地域に残る人間の年齢層は必然的に上がってしまう。地方の街がどんどん寂れていくのは仕方なのないことだろう。高齢化社会の行く末(すでに真っ最中だけど)はどうなるんだろうか、そして街はこの先どんだけそスピードで寂れていくんだろうとなんだかエラク心配になった。
これからの若い子たちは可能な限り、狭い地元にいるよりも、一度地元から離れてもと大きな街で生活してみたほうがいいなあと思うわけで。合わなかったらまた戻ってくればいいと思う。

それにしてもモバイルPCはやっぱり買って正解だた。軽くて持ち運びやす区て便利。ホテルではパソコン貸出してるところが増えているようで、泊まったビジホでもそのサービスはあったのだが、やっぱりMYパソコンが一番いい。

ちょっと旅行してくる

僕にとって少し遅めの夏休みがやってきた。明日から伊勢、大垣、木曽福島、松本、甲府へと3日間、18きっぷを利用してちょっと旅してくる。写真を撮ってくることが目的だけど、それよりもビールを飲みに行ってくるようなもんで非常に楽しみ。
今日は中古ショップでのモバイルPCを買ってきた。決して軽くはないけれども、これでこれから旅先でのPCの心配はいらない。やはり機動性は重要である。貯金が減っていくのはだいぶ痛いけどね。
荷物は基本ずっと背負っていくのでなるたけ軽くしたいけれども、パソコンとカメラ(レンズ)ですでに重い。衣類も軽いように見えて案外馬鹿にならないのだ。なかなかそううまくはが現実。旅行・・・というよりはやっぱり旅なんだろう。雨が降らなければいいのだが・・・・・安全な旅にしたいと思います。

変わる。それぞれ

某SNSで昔好きだったこの写真をたまたま見かけてしまった。ほっそりとしたスタイル、黒い髪、清楚な雰囲気と服装、すっかり大人になったんだあと。そんな僕はすっかりおじさんとなってしまった。連絡を取ろうと思えばすぐに取れる。ただ僕はそんなに簡単にメールを送れる性格ではない。そしてメールでの会話は苦手だ。そう言い続け、何年経つのだろうか。月日は美しくもあり残酷である。お互い失われた歳月って簡単に取り戻せるものだろうか。同じ学校だった中3以来早10年。別々の道を歩んでいる。一番近づけたであろう大学1年生の冬、そして成人式。もしあそこで、あの時勇気が出せていたら状況が変わっていたかもしれない。もう25歳。彼氏がいても何らおかしくはない。未だに人生迷走中の僕とは対照的に、相変わらず順調そうな人生を歩んでいるように見える。いや、そうだろう。あの子が幸せでいるならそれでいい。と思いたいがやはり気にはなるな。なんか住んでいる世界が違うような。

最近中の良かった友人とあまり連絡を取っていない。結婚してからは奥さんや、会社の人間との時間が多いんだろう。邪魔してはいけないと僕なりにも配慮をしている。これからどんどん周りが結婚し始めたら一人ぼっちにでもなってしまうのだろうか(笑)

時が経つと取り巻く環境も、関わる人間もどんどん変わる。その中にもまれ成長していくんだと思う。僕は皆がそうやって一歩ずつ成長していくのを外で、外野から見ている。ただ見つめている。自分は全く変わっていない。その場に居座っているだけ。安西先生の言葉を借りれば「まるで成長していない・・・」。

地元に戻ってきた。僕は友人が少ない。ただそう思っているだけなのかもしれない。安心できる、気の合う友人が少ないのだ。この人見知りが災いしているが故、新しい交友関係を気付こうともしない。
勉強をする一方でボランティアでもしようかなと思っている。会社に入ってから年齢の違う者同士の交流に違和感がないことに気がついた。ボランティアなんて正にそうだろう。自分の居場所がほしいというのもある。まあ自分に気がある人、同じ方向を向いている人がいればの話だが。
それにしてもセンターの社会科目からどれを選択しようか未だに考えていない。受験生から舐めてんのかゴラァ!と言われそうだが、日本史Bは難しいものだろうか。覚えることいっぱいありすぎて間に合いそうにないかもしれないけど。

7年の歳月

先ほど姉とリビングでテレビを見ていたときに気がついた。「今日はお母の命日じゃん」と。
母親、ぼくはお母(おかあ)と呼んでいた。今年でなくなってから7年が経つ。小学1年生だった子供が中学1年生になるくらいの時の流れだ。あれから僕は成長したんだろうか。高3だったまだ少年は立派に育ったのか。
記憶があいまいだが、ちょっと書いてみようかと思う。
2005年、高2の時だっただろうか。母親にがんが見つかった。子宮頸癌から始まり、気がつけばがん細胞が全身に転移、ステージ4の末期という絶望の状態。そういえば「肩にしこりみたいなものがある」そんなことを言っていたなと。まさかその頃にすでに体がそれほど蝕まれていたとは知る由もなかった。
しばらく地元のがんセンターへと入院することになり長い闘病生活が始まった。入院して間もないころだろうか、その間僕は修学旅行へと行ってきた。それから家似帰宅すると、お母が帰ってきていた。あんなに元気だった母親がこれまで見たことがないほど弱弱しくなり、嘘のように痩せていた。その姿にさすがの僕もショックで涙をこらえることができなかった。あの衝撃といったらなんだったというのか。
それから病院、そしておばあちゃんち(お母の実家)に行ったり来たりを繰り返していた。部活が休みだったり、春休みの練習の帰りに病院へ寄ったり。今思えばもっと行けばよかたっと思っている。行ったら行ったでよく「帰れ」と言われたっけ。食べたくても思うように食べれず、残ったものを母親の目の前で僕が食べる。たいそう憎らしかったに違いない。「帰れ」、そう言われるのが結構ショックだったりしたなあと。
抗がん剤の副作用は思っていた以上に強烈で、髪の毛は抜け体は骨と皮しかないようにやせ細り、すっかり体力を奪われ、最後のほうは意識も薄れて飛んでいた。今まで元気だった母親はもうそこにはいなかった。つらい治療でも母親は耐えてきて、「ここまで耐えた患者は今までにいない」と医師や看護師が驚いていたそうだ。
2006年7月、高3の夏。母親が家に帰りたいというので自宅で過ごすことになった。僕も野球を早々と引退し、一緒に過ごすことになった。しかしそのころから黄疸が見られはじめ、再び病院へ。そして体の痛みから苦痛を和らげるため、モルヒネ(だったかな?あまり覚えていない)を投与することに。初め僕は反対した(子ども心として)が、母親も打ってほしいと願っていたため了承せざるを得なかった。僕も幼かったのかな?生きてはいるが眠った状態になる、ただ痛みや苦痛から全て解放される。本人が楽になれるならば仕方のないことだった。
夏休み最後の夜母親と同じ病室で過ごす。朝がやってきて、ぼくはこれから学校に行かなければならない。そしてこの数時間後には母親は眠りに着く。実質最後のお別れで、病室を出る前にお礼を言って、さすがに涙をこらえきれなかった。その姿を後ろから見ていた看護師は何を思っただろうか?妙に朝焼けがきれいだったのを覚えている。
そして夕方、進路指導室にいるときに、母親が亡くなった知らせが入った。薬を投与して数時間後のこと、本当に逝ってしまたっと。再び再会したその時、さすがに涙は出なかった。入院して1年もしないうちに人間はこんなになってしまうものなのかと。恐らく抗がん剤の影響が相当大きいのかと僕は思う。僕も当時、色々と調べ回って金も使い何としてでも助けたかった。正直母親が死ぬだなんて思わなかったしあきらめてなかった。けど最後の最後で薬を投与するという話が出たときにはさすがに折れてしまった。
入院したばかりの頃僕にあてた手紙が今でも残ってる。それと整理していたところ入院生活の心情を綴っていた日記も発見した。どういう気持ちで書いていたのか想像するだけで胸が痛い。
そういえば、入院している時、僕を気遣って親戚のおばさんが練習着を洗ってくれていたのだが、さすがに申し訳なく、自分で洗っていた。今まで(親が元気だったときは)練習着は洗ってもらっていたしそれが当たり前だと思っていた。野球部の土の汚れは相当ひどく、洗濯機だけではなかなか落ちない、そのため洗濯板でごしごしと洗い続けなければならないかなりの重労働である。自分で洗い始めた当初、相当辛くて泣きながら洗っていたっけ(笑)こんな大変なことを毎日してくれていたと思うとほんと感謝である。自分が不自由なく何かできているのはそれを支えてくれる人がいたからということ、今も強く思う。掃除だって洗濯だって食事だってなんだって。一人暮らししてからは自分で何でもやるというのが当たり前になったわけだけれども。

今頃生きていたらどうだっただろうか?姉は「生きていたら生きていたで苦労してたと思うよ」僕も同じ意見である。結局金銭的にやっていけてな方っと思う。以前に何度も書いたけれども、僕と姉が高校を卒業して進学できたのはじいちゃんばあちゃんがお金を出してくれた、おかげなのだ。
そして親父の話も。やっぱりおやじは鬱だったのかもしれないねと。死に方が死に方だったからさすがにかわいそうだたっと、親父嫌いであった姉は言う。福岡に旅立つ前、その前からもっと優しく手をさしのばしていたらちょっとは違う結果になったのかもしれない。僕も親父には素直になれなかったし、どこか毛嫌いをしていた。そこは後悔している。ただ、やっぱり母親がなくなったのが親父にとって一番のショックだったんだろう。
「やっぱり男のほうが弱いんだと思うよ」姉は言う。本当にそうだろう。僕も女の子がいなければ生きてはいけないし生きる気力も出ない。

普通の家庭の同世代ならば働きだしている年齢。これから親孝行をするのかもしれない。たまに実家に戻ってくれば温かく出迎えて、一緒に食事でもするのかもしれない。それができなくなった今、ちょっぴり寂しいもんだ。
7年経った今、振り返れば短い。ただ7年間という貴重な時間を僕は有効に過ごせただろうか。後悔ばかり多い。今も僕も迷走を続けている、これから先どうなるかわからない。少なくとも一度くじけたぶん強くなったと思うし、弱くもなたっと思う。けどこれから胸張って生きていきたいなあと。

そして新生活

ミス静岡2013の画像wwwwwwwwww
これは可愛い!童貞に好かれそうって正にそうです、はい。可愛い子って人生イージーモードなのかなと思う一方、モテるだろうからいろんな男と付き合ってるのかなと思うとゲンナリしてくるが・・・。

いよいよ今日から勉強再開ということで図書館へ行ってきた。恐らく大学生だろうか、他にもいろんな年代層の先客達が自習室で勉強していた。先日まで住んでいたところの最寄りの区立図書館は実習室がなかったので地元の図書館が凄く見える。それにしても最初は意気込んでいたものの、勉強ではなくて手紙の返事を書くのに精一杯になっていたw言葉ってまるで泡の様で、思い浮かんだらすぐに記録しないとすぐ消えていってしまう。だからいい表現が思い浮かんだらとっととメモする!ブログの文章も同じでいかに集中できる環境で書く得るかというのが大事かなと。まあそれには集中していないといけないのだけれども。

さて、荷物整理がまだ終わっていないけれども、新しい生活が始まった。転入出届けの手続きは何回やっただろうか、もう手馴れたものである。
やっぱり地元は東京と違って解放感があり、ゆっくりとした時間が流れていて落ち着く。東京で見る夕日もきれだったが、ここで見る夕日もどこか趣がある。そして1年ぶりの実家暮らし。姉夫婦も同居していているので今まで一人ぼっちだった食卓も非常ににぎやかになった。もちろん気は使う。生活費である食費・光熱費・雑費を含め2万は毎月納める。食事は姉が作ってくれているので、とりあえずその辺心配はいらない。そして「痩せろ」とw入試までには70キロ前半に落としたいな。10キロ以上落とす必要があるというw
昨日は昨日で会社の人が遊びに行く帰りにここによるとのことで、一緒に食べに行き、焼き肉をご馳走になった。そのあと地元周辺をぷらりと散歩しながら見送った。決して小さくない街なのだけれども、どこか廃れた感は否めない。特に駅前はそうだ。東京と比べてしまって申し訳ないけど遊べるようなところもお店も限られてしまう。それに地方はやはり車(バイク)がないとお話にならない。家から歩いて2分のところに駅があった生活とは天と地の差だ。でも高校生まではこの地元で過ごしてきたわけだし、それも知った上でこれからしばらくこの地で暮らす。
今も思うけど地元から出て行ってよかったと思う。地元しか知らないというのは本当に持ったいのないことだと思う。静岡も決して悪くはない。むしろ住みやすくていい場所だと思う。ただ学生時代住んでいた千葉、そして先日までいた東京と、2都県住んでみて関東の便利さと世界の違いを知れたのは非常に有意義であったかな。
さて、明日も頑張ろう。