自殺予備軍

今日3人で作業をしていた。先輩社員が話しかけてくるので自然と意識は手より口のほうへ行ってしまうのは仕方ない。そしたら突然「早くやれよ」「そんなもん早くできんだろ」とマジギレ?されたwあまりの突然の変貌ぶりに僕の表情は一気に凍りついたわ。意味不明と言うかとても理不尽だった。なら話しかけんなよ・・・
その先輩いつもは優しいけど突然口調がきつくなり変貌する時があるんだけどあれって一体何なんだろうか。

さて、自分は自殺して死ぬんじゃないかと今でも思う。今日自殺を決行した?であろう人のブログを見て余計にそう思ってしまった。引きこもってた当時自殺願望あったということ、そして今年親父が自殺したということは以前の日記にも書いた。自殺なんて他人事だと昔は思ってたけど自分もそう思ってことや、一番身近で起こった出来事なので常に自分の事のようだ。親父の死の後からなんとなく、自分も同じようにして死ぬんじゃないかとなんとなく思う。
生きることは本能であり、本能に逆らうという行為はこの世で一番恐ろしいことだ。僕があの時躊躇したのも恐怖に勝てなかったこと、心の底から絶望してなかったからだと思ってる。一方親父はどんな思いで死んでいったんだろうか。それは本人しかわからない。親父の死に対してあまり深く考えないようにしてきたけど、最後の光景を思い浮かべるだけで非常に胸が痛くなる。
恐らく今度自殺願望が出てきたときは、完全に絶望しきってるときだろう。
なんかこのまま生きていてもどこかで行き詰まりそうな気がしてならない。今はまだ若いのでやり直しがきくが、歳をとってコケたらもう駄目かもしれない。それに、すでに日々の生活がなんも面白くない。生きてる心地もしない。今働いている分、安月給ながら生きていくだけの金はあるが、果たして何十年後何の仕事をしているのか、そして稼いでいけるのかあまり想像ができない。こうしたいっていう希望はあるのだがうまくいくなんて保証はない。今ある希望が絶望に変わるのが非常に怖いのだ。
それに頑張ったっところで何か報われるだろう。頑張った先に何があるのか。誰かが僕の、あなたの人生をほめてくれるというのだろうか?
スポンサーサイト

反抗期

ビールを飲んでるときは嫌なことすら忘れられるけど酔いからさめて現実に戻った時の気分と言ったらそりゃ絶望だ。
今日は朝からのんびりと仮面ライダーをプリキュアを見ることができた。今日はれいかちゃん回だったのでとてもよかったよかった。日曜の朝っぱらから何も考えずに過ごせるのって本当最高なんだな。大学生活の後半もずっとそんな感じでそのおかげで仮面ライダーに再びはまったわけだけど。夕方買い物しに商店街をぶらとしたけどやはっぱり平日と違ってどこか雰囲気が違う。言葉では表現しにくいけど休日の雰囲気だ。平日と違ってリラックスっした雰囲気が漂ってる。平日休みもいいけど、やっぱり休日に休みを取りたいもんだと改めて思う。そん感じでぐうたらすごしていつものように貴重な休日がオワタ。

最近思ったのだが僕は今更ながら反抗期なんではないかと考えてる。もちろん世の中に対してだ。10代の時に感じなかったことや当たり前だと思うことに対してここ数年、そして今年になってから矛盾やら苛立ちを感じ始めて反抗的になってる。このブログではそれら吐き出しまくってるわけだが、友達に世の中に対しての愚痴を言うと「そんなこと言ったってしょうがないじゃん」「俺だって思ってるけど我慢してんだよ」的な答え。と、要するにいくら言ったって変わらないもんなのだから受け入れろって返事が返ってくる。変わらないものはあきらめて受け入れろ、従えと。恐らくそれが一般的な人の考えだろう。でも内心本当に受け入れてしまったら終わりだ。「しょうがない」という考えは完全に諦め、思考を放棄してるので好きではない。海外は知らないけど 日本人はこの「しょうがない」という考えがいたるところに漂ってる。まじでちんちんファックだ
周りは今の世の中を受けりれて行く一方僕はその反対を行ってる。恐らく「大人になりきれてない」「子供かよ」と思われるだろう。まあ別にかまわん。毒されるくらいなら世の中の理想とする大人(笑)になんぞなりたくもないわ。まあ文句は言ってるけど解決策は実は考えてない。唯一あるとするならば今いる「世の中」から「逃げる」ことぐらいだろうか。

気遣い合戦ジャポン

上下関係と気遣いに疲れる。
よく「相手のことを考えろ」とか「相手が何をしたがってるのか、何を望んでるのか、予測してに先に動け」みたいな考えがある。正直この考えが非常に面倒くさいだよね。なんだろうか、他人への気遣いができるというのは素晴らしいことだとだ。ただね、世の中その気遣いが過剰なんだわ。この日本社会だけかもしれないけど。
恐らく部活動で集団スポーツなり経験した人ならば、分かるであろう感覚。先輩よりも早く動け!先輩にやらせんな!職種によりけりだけどそれと似たような考えが社会でもはびこってると俺は思う。立場が下だから気を使って先に動けよ的な。ホント、小さなことやらそんなことまで?ということでも「お前、気使えよ」と言われた経験はないだろうか。
縦社会の中にいると、自分よりも常に相手に意識を置かなければいけない。特に目上の人と一緒にいると常に神経尖らせた状態で休む暇がないのだ。下っ端だから仕方ないのかと割り切ってはいるけどさ・・・・。部活動なんて約1年ちょっと耐えれば上がいなくなるが、会社は何年、何十年耐えも上がいる。絶対精神的に持たないと思うわ。
日本人であり、日本に住んでいる限り、異常なまでの「厳しい上下関係」と過剰ともいえる「気遣い」からの呪縛から解き放たれることはない!若い人たちが萎縮してしまうのもこれら無駄ともいえる文化やら風潮があるからだ。
仕事以外、普段の生活でもそうだ。普通の生活でも相手に常に気を使い続けたら精神が持たない。極一部の例で言うと、飲み屋とか飯とか行ったとき料理を取り分けるとか、グラスが空いたら何飲むか聞いたり。
さらりとごく自然とできる人もいると思うが自分にはできない。そういう人は空気を吸うのと同じような感覚なんだろか。少しでも意識しないとできないし、意識した時点で「気を使わなきゃ」と脳が認識して疲れてしまう。すると食事が楽しくなくなる。食事が終わるまでずっとだ。まさに飯マズ状態だ。正直、自分で食べたいものを自分で取ればいいし、グラスが空いても自分のペースで注文すればいいと思う。先読み気遣いが過剰なんだよ。
なんでもそうだ、とにかく相手のペースに合わせるのが嫌い(気の置けない友人ならば別にいいんだけど)。俺はマイペースで、わがままな性格。自分という存在を押し殺してまで(神経すり減らしてまで)他人優先ってのは間違ってると思う。何が気遣いで何が自己犠牲なのかなんだかわからないわ。

それと最近気づいたんだけど、仕事が終わっても役職が上の人が帰らない限り、帰れない的な空気になってる。これも日本の悪い風潮だ。だから早く着替えたおっさんでもその人たちが出るのを待ってるんだよね。非常に面倒くさい。仕事よりも人間関係に疲れるというのは常に気を使わなければいけないという縦社会から来る無言の圧力と、気遣いしろしろという日本人の特徴だからなのか。
さて、明日から2連休。ただ何して過ごそうかいつも考えてない・・・・・

夢から覚めたら

今日で3日間あった休日も終了。地元へ帰るとほぼ半日は移動なりなんなりでつぶれるので実質2日とちょっとの休日だった。金がかからなければ毎休みごと地元に帰りたい。
なんだろう、東京に戻ってくると即思考が停止してしまう。職場に行きたくないという拒絶反応からだろうか、また明日から絶望の日々が始まる思うとガクブル。ここは住む場所じゃない。働くためにある場所だ。。


これが日本の「普通」の人生・・・らしい

ごく当たり前のような普通の人生を歩むのって難しいことかもしれない。

なんかね、日を追うごとに何か大事なものが失われていってるような気がする。その「何か」ってのは具体的にはわからないけど何か。
昨日夕方の釣りに向けて移動最中に部活帰りの地元の中学生達を見かけた。そういえば自分もこうだったなーなんて懐かしくなってしまった。そして一瞬中学生になった気分になってしまった。ほとんど小学校から一緒だったし、異性とも同じ空間。まだ外の世界を知らぬ純な少年にとっては、閉鎖的ではあったが一番刺激のある時期だったはず。あの頃好きだった子に告白していたらどうなっていたんだろうかなんてときどき思ってしまう。
あと未だに地元高校生を見るとあたかも自分も高校生になった気分になる。女子高生を見るたび「くっそ・・・(涙目)」と若き青春時代の空白を悔やんでる。僕が入学する年から共学になった元女子高の制服が可愛い。もう一度あの頃からやり直せるならそこへ行きたい。一年生の時一度学校祭に行ったけどあそこにいる男たちはさぞハーレムだっただろう。モテるモテないないは別としてね。
はっきりいうと俺が過去を悔んでるのはやはり女の子との時間がなかったことにある。進路のことについても多少あるけど。20代半ば何にまだそんなこと思ってるのか。よく友達にも「またそんなこといってるのかよ」とあきれられる。ああそうさ、今が充実していないのに心が行きつく場所はどこなんだよ。「過去」なんだよう。恐らく、今が充実しだしたらこの呪縛からも解き放たれると思ってる。この氷河期からいつ抜け出せるのかが問題だけど。
それと、つい半年ぐらい前まで学生だったのに、社会との壁ってこんなにもでかいものなのか。人生これからなのにすごく絶望してる。そう思うのは恐らく俺だけじゃないはず。

お前を食わせる金はねぇ

昨日から三連休ということでまた地元へ戻ってきた。いったいこの解放感は何だろうか。
2日目の今日、朝っぱらから高校の友人と釣りに出かけてきた。市街地から離れた所謂漁師町。こうやって静かなところでのんびりと過ごす休日はなんと素晴らしいのか。都会とは違い、また市街地、実家の周辺とも違った空気がここには流れてる。ほんと田舎だけど、まるで時が止まったような感覚に陥った。こんな風にあまり時間を気にせずに生きられたら、どんなに幸せだろうか。時間に厳しい日本社会において、時間に追われることが宿命であるわけで、まったり生きるなんて夢のまた夢だろう。アジやらカマスやらソーダガツオ釣って、横にいたおじさんが気軽な感じだったので色々アドバイスをしてくれたり魚もらったり。
昼前までやって物足りなかったので夜もやろうということでもっと近場で釣りをしていたのだが暗くてなんも見えず、また友達の糸がリールに絡まって直しようがないということで即終了。せっかく買ったアミエビちゃんたちを捨てる羽目に。魚たちにタダで餌をやるために俺たちは金を出したのかw鯉の餌よりもたかいじゃねぇかwそれにしても隣にいたジジイ達がいちいちうるさく言って来てさすがにうとおしかった。上から目線であたかもここは自分たちの居場所だ的な感じ。普段寛容な俺たちもさすがに気分を害した。昼間のおじさんとはえらい違いだ。そこでふと俺たちは思った。あんなクソ野郎達のために俺たちは年金を払ってんのかと。報われない若者とは対照的に、あのジジイ達はのうのうと年金で暮らして、のうのうと釣りをしているのかと思った時、なんだか更にムカついた。じじばば達が権益を握ってるこの国では若者たちはいいように搾取され犠牲になってるわけだ。ああ、マジで国に未来はないと語りながら帰った。

今日で2日目が終了だけどホント何で休日ってこんなにも時間が過ぎるのが速く感じるんだろうか。
そういえば、昼に友達の家で休憩したのだが、彼女が作ったというアルバムを見せてもらった。出会った時から最近のデートに至るまでストーリー仕立てでご丁寧にコメント付き。ああ、彼女がいるとこんなものまで作ってもらえるのかとすごくうらやましくなって仕方なかったわ。俺の知らないところで世界は今日も回り続けているということを改めて知らされた日でもあった。カップル達が愛を育んでいる一方で、俺は何をしているのだろうか・・・

知らぬ間に刷り込まれた価値観

ああ、出そうと思っても出す機会がなく結局言わずじまいで終わった・・・
少し肌寒くなってきたにもかかわらず日中は日差しがまだ強い。服がないのが一番の理由だけどまだ半袖い半パン、サンダルスタイルで職場へ通ってる。周り見渡すとそんな夏の格好をした人は誰もい。たった一人見かけたぐらいだ。職場のおじさんに「季節感ないね」と言われたけどさ、結局駅から職場まで歩くと暑くなるのでちょうどいいんだよね。楽だし

さて家に帰ってテレビを見ると集団行動の番組がなんと3時間も組まれていた。某大学の集団行動もはや芸術であると思う。すごいの一言。だけどね、番組見ててなんか違和感があるのよ。なんかどれもこれも軍隊みたい。そしてどっかの国のマスゲームにそっくりだ。なんでわざわざ集団行動をこんなにも大きく取り上げるのだろうという疑問。みんなでい一つのことをやり遂げるのは素晴らしいと思うんだよ。けどねと感動を誘ってあたかも集団行動を無意識に刷り込ませるような意図を感じたわ。
そういえば高校まで体育とかなんやらで集団行動は当たり前だだった。面倒くさいは思いつつもこれがあたり前なのかと知らず知らずにそういう価値観が出来上がってた。おまけに野球というまさに集団スポーツをやっていたこともあり尚更その価値観が出来上がってた。今思えばやっぱ異様じゃないかと思うわ。なんかね、集団で行動するのが当たり前という風潮なのか、個人で行動するのがあたかも異様な感じで見られるのは気のせいだろうか。閉鎖的な空間であれば尚更で、学校でも一人でいると異様な目で見られる。まさに偏見の目だ。
大学時代、ヒッキーから復帰した年はずっと一人ぼっちで行動していたけどなんとか大丈夫だった。人が多かった分ぼっちでもあまり目立たない。まあほとんど人間が集団作って行動していたけどさ。集団で行動するって面倒くさくないか?主張しても結局輪を乱さないように相手の顔や空気を読みながらしなきゃいけないし。

実社会でも集団行動の影響が出ていると思う。組織に入れば個はなどいらない。個は邪魔なのだ。そうとなれば一律均等、組織に従順になるだけでいい。これって会社対社員、もっと大きく見ると国対国民。
何だろう、極端な話組織に入ってリーダーの指示にはいはいと従っていれば別に自分の頭で考えなくても済む。おまけに所属していること自分の居場所ができるわけで、安心しきってしまう。
集団行動が当たり前だという価値観だと個人は認めない、そして自分で考えない人間を生み出すだけだとお僕は思うんだよね。指示する通り従ってくれればいいんだから、まさに組織、支配層にとっては好都合な洗脳だ。
とりあえずみんなで動く、人に合わせるのが嫌いなので集団行動はしたくない。常に自分で考えて自分の勘を頼りに生きたい限り。
ああ、仕事かったるいよ。耳栓なしで数時間もディーゼル発電機の音が響く場所で作業をしていたせいか、耳がぶっ壊れそうになった。膝の曲げる回数も多いし、絶対体のどこかがおかしくなるって。機械相手の仕事は面白くもなんともないでふ

幸福な国の絶望な大人たち

10年後どうしていたいかふと考えてしまうと今の自分は果たしてこれでいいのかなんて思ってしまう。会社勤めしだして少ししかたっていないけど、今まで見えてこなかったもの(考えてもなかったこと)がちょこっとずつ見え始めてきた。恐らく学生時代では全く考えることはできなかったと思う。別にこの仕事を一生の仕事にするだなんてのは思ってなかった。他の求人より給与も良かったしなんとなく面白そうだったからという理由で入社したわけだけど。とりあえず給料だけは保障されている。それにさして変化のない業界なので今後とも激変することは恐らく考えにくい。けどこの会社で働いてることも、どっかの組織に属して働いてるのも想像できない。
今が見えてないのに先のことを見るなという人もいるだろうけどあまりにも先が見えなさすぎるから不安なのだ。果たしてこの先何年生きるのかすらわからない。この日本経済が良くなるとも思えない。自分たちが属してる会社だってもしかしたら傾くかもしれないし、倒産するかもわからない。歳をとってからリストラされたら悲惨だ。子供の養育費教育費、住宅ローン、その他もろもろ・・・。年金だってどうなんだか怪しいし、あまりあてにできない。かといって老後のための貯蓄など果たしてできるのか。組織に一時的に守られていて、給料も保障されても極度のストレスを感じながら働き続けるのもつらいものだ。そして何か先が見えたような気がして妙にしらけている自分がいる気がする。
なんか色々逆算して考えたとき、組織に属さないで長く自分の力で食っていける方法をとるのがいいんじゃないと。そんな甘いもんじゃないけど。別にやりたくてしかたのない仕事などはないけど、改めて職人という生き方を考えてる。じいちゃん、そして親父の似たような道を歩もうとするのか。普通24歳ぐらいだと遅いかもしれない。今考えてる分野はそれでもまだ若いかもしれない。だから早く始めることにこしたことはないので焦ってる。ただ、受け入れ先があるかが問題だけど。今の会社のこともあるしまだ決断しきれていない。
どうせ人間いずれは死ぬのだから自分が納得した生き方をしなければ充実した人生にはなれないと思うわ。若気の至りなのか浅さかな思考と言われようと別に構わない


ああ、何もしないで貴重な休日がオワタ。無関心無気力無目的ががつらすぎる。外にも出たくないし特に何をしたいでもない。何もしないから全く話題も増えない。まさに負悪循環。人と話すのが好きじゃないのはネタがあまりにもないから。昼間暑いので窓を開けると近所の高校から女の子たちの元気な声が聞こえてきた。ああ、若いって素晴らしい。俺にもあんな若さがあれば・・・

主役はいつも

「あれ、もしかしてあの子かもしれない」。駅のホームの雑踏で、過ぎゆく女の子の後ろ姿を見るたびにふとそう思ってしまう。こんなんところにいるはずもなく、ましてやもう会うこともないだろうに。そうと分かっていても「あの子だったらいいのに」と心の中で願ってる。もしそうだとして今の僕を見てどう思うだろうか。「太った?」とでも思うのだろうか。今日も似たような子を見つけたが単なる人違いだろう。

さて、最近年上の新人さんが入社した。今日一緒に駅まで帰ったので話をしたのだが、何とも向上心のある人だった。年齢は違うといえど同じ新人というのにこんなにも心持が違うのかと。まあ相手は20年近く仕事して社会経験積んでる人だからそれなりにマインドもできているんだろうし、家族もいるのだから頑張れるんだろう。
片や僕といえば辞めたがっている人間。ここ数日はモチベーションが下がってるわけではないし、「あれ?もしかしたら行けるんじゃないか」と思ったりしたけどそれは錯覚。ふとっと我に返った時にやっぱり辞めたいと思ってる。
今相当焦りを感じているわけで、そうして悩んでいる間にも時間が進んでく。時間がもったいないがまだ決断しきれていない部分がある。手に職をつけて自分で食って行こうとするならば経験積むにも若い今のうち、早いに越したことはないからだ。

好きになっちゃうもんなんだよ

休日2日目、今日は昼前からずっと「僕の生きる道」を見ていた。「死」をテーマにしているだけあって色々と考えさせられる部分が多く、好きな作品の一つである。中学生当時、矢田亜希子のファンでこの作品自体が好きなわけではなかったんだよね。今見てもこの時の矢田亜希子は相当な美人さん。なんでお塩先生と結婚したのかは謎だったんだけど。すごくショックだったんだけどね。
名言も多い作品だけど、第3話の先生を好きになった女性生徒にあきらめるよう説得するシーンで「好きになろうとして好きになるもんじゃないでしょ。好きになっちゃうん だよ。恋はしちゃうもんなんだよ。」というセリフがよく聞くようなセリフなんだけどなんかなんか心に響いた。きっと女優の言い方が良かったのかな。
確かに好きになろうと思っても好きになれるもんじゃない。僕の恋は中学生のままで止まっているけど、当時好きだった子もいつの間にか好きになってた。なんだろうな、何で好きになったのかって言われても良くわからないんだよね。顔かと言われればそれもありき、でも説明しにくい部分が色々と複雑に絡み合ってるわけで。人はやっぱ自然と人を好きになるもんだなぁ。だから彼氏がほしいだの彼女がほしいだのとか言う事に対して違和感を感じるのは、なんか不自然だからなんだと思うわ。矢田亜希子があのお塩先生と結婚したのも言葉では言い表せない力が働いたからなのか。好きになっちゃったからなのか。

もうこの歳になると10代のような純粋な恋はできないもんなのだろうか。歳をとるごとに世間的にも精神的にも許容されない部分が増えていくという現実は非常につらいもんである。
そういえば、フェイスブックで別れた恋人のことを調べてしまう人は人間的に成長できないという研究結果が出たらしい。恋人なんていないけど、昔好きだった子をつい調べてしまうのも同じようなもんなのか。前に進めない人、立ち止まってる人はずっと過去に縛られているんだわ。この研究結果はある意味当たってるかもしれない。

ああ、明日からまた仕事とか憂鬱。世間は3連休なのにシフト勤務の人間にとって曜日感覚が無くなってしまうのがつらい。午後からだけど仕事行きたくねぇ・・・

孤独な街の孤独な男

台風の影響などなく結局朝から晴れ晴れとした青空。ベッドの上でごろごろし、ゆっくりと流れる雲をみるとなんだか心が非常に落ち着く。そしてなんだか贅沢な気分になる。ああ、「今日休みなんだ、何も考えなくていいや」ってね。今日一日パソコンやったり寝転んだりの繰り返しでいつも通り引きこもり状態。やっぱり家が一番居心地がいい。
外に出ないと駄目だと頭の中で分かっていても体がそれについていかないだよね。人目が嫌いだし。ただ、外の世界の生の情報を取り入れないと自分の世界も広がらない。よく考えたら東京で過ごす休日は誰とも会ってないだよな。恐らくこの調子ならばこの街でも新しい友人なんてできないだろう。会社勤めしてる人ってやっぱり休日遊びに行くとき会社の人間達と遊びに行くのだろうか。大學時代の部活友達は千葉に数人いるけど今どうなってるのかしらない。同じ学科の友達は携帯壊れたせいで連絡先すら分からない状態。孤独とは辛いものだけどもう数年もこんな調子なので慣れた。まあ急に寂しくなるだけだけどさ。
ああ、休日なんていくらあったって足りない。


上司 「飲みに行くぞ」 ゆとり新卒「仕事終わったのに何で付き合わないといけないんですか?」
最近リーマン板のスレずっと見てるけど、俺と同じように今年から働きだしたけどすでに辞めたい言ってる人間たちの嘆きが面白い。ああ、世の中には同じような思いのやつらがたくさんいるんだなと思うとなんだか嬉しくなってしまうもんだ。さて、日本の悪しき風習である仕事後の飲み会。「飲みニケーション」という言葉が嫌いだ。「飲みも仕事のうち」だなんてそんなチンカスのような思考回路を持った野郎はもっと大嫌いだ。酒の席まで気を使うのは勘弁してくれよと思う人は多いと思う。先月の初めての飲み会では、まあタダで飯も食えたし仕事以外の話もいろいろ聞けたがとりあえず面倒くさい。その後の2次会やら何次会も面倒くさい。とにかくおっさんが酔っぱらうと面倒くさい。別にこちらから話すこともそんなないし。確かに一緒に働く仲間としてコミュ二ケーションは大事なんだと思うけど、腹を割って話すだなんて別に酒の席でなくてもできると思うんだけどな。あくまで仕事とプライベートは分けたい。自分の時間を大切にしたいし、家族がいる人間は職場の人間とではなく、家族と一緒にいる時間を大切にしてほしいと。ホントクソな日本社会だと思う。

無駄な封建社会

ようやく6日間の泊まりが終わった。精神的も体力的にも疲労し非常に憂鬱な時間だったわ。初日に先輩から「どんどん自分から入っていかないと」って言われたけどさ、ただでさえ狭い場所に用語も動きも良くわからないド素人が入って行ったて邪魔なだけなんだよ。しかも雰囲気的にも自分の性格的にも作業中のところに入りにくいし。まあ結局雑用しか任されなかったけど。休憩中も一回り以上違う人間たちの輪の中にいるのが非常に苦痛だった。協力会社の良くしゃべる人に「君童貞?」という質問をぶつけられた。「はい、童貞です」と、みんなに童貞であることがばれてしまった。やはり雰囲気やら態度ですぐわかるんだろう。しね
そして仕事が終わってホテルに帰ってからも煩わしい人付き合いが待ってた。先輩の部屋に来いだの飲みに行くだのキャバクラ行くだの。仕事終わったんだから放っておいてほしい。俺は一人の時間を楽しみたいのに。ゆっくりしたいのに気を使う時間が増えるというのが苦痛でたまらないのだ。断ってもしつこく迫ってくるあの態度は一体何なんだ。2、3ヵ月後に今度は年検で1カ月かけて整備作業するのだけれどもこんな生活耐えられないわ。日々弾力を失って行く心、前の会社と同じように日が経つにつれて心が折れてきた。今回もう辞めたい意思がほぼ固まったと言ってもいいかな。社長と一度話す機会があったけど作業中だったし無理だった。ああ、いつ事務所に来るんだろう。
会社はまさに封建制度。会社に服従、そして上司・先輩に服従しなければならない。どんな理不尽にも耐え、断固としては歯向かうことはできない。封建制度というよりも奴隷制度と言ったほうがいいのか。俺の様にストレスに敏感な人間にはとてもじゃないが耐えれないわ。日本中どこの会社に行っても同じようなもんなのだろう。
会社はファックだ。縦社会などファックだ。会社に勤めるのが当たり前という既存の価値観はぶっ壊れた。その前に精神が壊れそうだ。

明日から2日間の休み。天気悪いらしいので家でパソコンと読書にいそしもうと思う。そういえばやっと文通の返事が来た。文通始めてからポスト開けるのが楽しみになってきてる。メールと違って待っている時間が長い分、手紙が届いたときのうれしさも大きいんだろうか

生きてる証をネットに打ちつけよう

台風も過ぎ去って雲ひとつない晴天ではないか。僕の心はまさに台風の暴風域の中なのに。
このクソ暑い中汚れたつなぎを着て汗だくだくだくになりながら先輩の補助作業。何回も階段登って道具取り行ったり戻ったり。もうお膝さんが辛いです。ああ、肉体労働というものは実に辛いものだな。体力ともに忍耐力がなければ駄目だ。汚れなんてなんのその。工場内をきびきびとした動きで作業するおっちゃんたちの後ろ姿が非常にまぶしい。俺にはそんなスピードも体力はない。若いのに情けない・・・とは思わないけど。今頃リア充達は昼間っからセックスにいそしんでいるのかと思ったら「俺何やってんだろ」となんだか悲しくなってきたわ。しかし汗を流した後の麦茶はうまかった。それと一緒に作業していた先輩に「どうだ、続けられそうか?」と嫌な質問が飛んできた。「いや~辞めたいんですよ(キャピッ☆)なんてのは言えるわけがないので「いや~8月が大変だったのですよ~」とただの感想を述べて回避したららなんとかかわすことに成功。ただ「一番しんどい8月乗り切ったから大丈夫そうやな」的な期待交じりのこと言われたのでとりあえず半笑いしといた。うんこ

さて、同じ時代に生まれ同じ時代を生きているにもかかわらずこうも違うんかかとブログやら某SNSを見て思う。友達や同世代の惜しげもなくさらされたリア充写真を見るたびに心が痛い。
俺のように魂の抜け切った日々を過ごしている人間がいる一方、同じ24歳でも友達いっぱいいあたり、人生謳歌している奴もいる。俺よりも年下の人間も俺以上のいろんな経験をしてたり人生充実した日々を過ごしている人がいるわけで一体何をしているんだろうという虚無感に包まれる。嫉妬もさることながら他人がうらやましくて仕方ない。これはどうしようもない感情だ。
別に生きる意味を考えてるわけでもないが、何が楽しくて生きてるんだろうとは考えてしまうわけで。ただ生きてるだけならその辺の植物やら動物と一緒。全く感情とは厄介な機能が人間には備わったもんだわ。

とりあえずぼっち野郎にとってリアルな世界には居場所もなければ心のよりどころもない。歴史に名を残せるわけでもなく、誰から相手にされるわけでもない。その思いが自己顕示欲をより高めていく。このブログだってほぼ自己顕示欲の塊だ。他人との交流を求めてる一方、「こんな人間が世の中にいるんですよ」と自分というの存在を知らせたい。恐らくこの感情は誰にしろ心の底ではあるものだと思ってる。リアルが駄目だからネットなのだ。ネットならば俺のような人間でも居場所を作れる。まあ今生きてる証をネットに打ちつけてるんだな。まあ止めたり消したらそこまでだけど。

それにしてもいったい何をすれば心が満足するのかね。とりあえずお年頃なので女性からの愛情がほしいです、ねだっても出てこないけど。でもそれ以上に心の自由がほしいです。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。