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死ぬ前の準備

9月に電験の資格試験を受けようかと考えている。学生の時に電験3種か一陸技のどちらを受けようか迷ったが結局一陸技を受けた。結局ダメだったけど。回路設計、施工管理を希望しないのならば学生のうちに電験3種はとっておいたほうがいいのかもしれない。
電気、設備関係。今思えばそってちに注力して就職活動をすればよかったかと思う。鉄道会社本体がダメでもそれ関係それ関連でいっぱいあったし。仕事は地味かもしれないがやっぱり電気系は最強だと思う。が、あの時の僕は馬鹿だった。そして言うなら学科に求人いっぱい来てたのに、それが単なる受験票だったとしても使うべきだたっと思う。震災の影響の影響をモロに食らった年。でも自分を守るためにその事実を都合のいいように利用しちゃダメ。ちゃんと就職できた人はできたわけだし。まあ就職率悪かったのは事実だけど。文系と理系、違いって言ったら企業が向こうから大学に求人票持ってきてくれることかな。
転職サイトを眺めてる。求人の多くは首都圏に有り触れている。正直羨ましい。やっぱり県内の求人の多くは浜松に集中する。流石が工業の街。だけど家からはあまりにも遠すぎる。
ハロワ。地元の求人はある。でもそれなりだよね。でもね、カス求人なんて思うけれどスキルも経験もない僕のような人間にとってはお似合いなのかもしれない。カスなんて思うこと自体おこがましいのかもしれない。でもそこに勤めたって先がああるかって話だ。そもそも何にために地元戻ってきたのかって話になってしまうとなんも言えなくなる。自分の責任だ。
また首都圏へ出ようかなんて求人を眺めて一瞬思うけれども、いろいろと縛りがある。だから面倒くさい。なので家から通える範囲で選ぶ他にない。仕方ないよねぇ。
多くの人は実家を離れて違うところで生活圏を築く。地方出身者が東京で暮らす。それが当たり前といえば当たり前の光景である。ただ実家を離れて安心していられるのは親がまだ生きているからこそだと思える。実家に兄弟が残ってくれているのならばまだいい。兄弟が家のことを何とかしてくれる。しかしいない場合どうだろうか。親が死ねば今まで親がしていたことを今度は自分が全部やらなければならないからだ。先日書いた介護の問題に加えて、親が死んだ時どうするかを考えなくてはいけない。僕と同じぐらいの年齢の人間ならばまだまだ遠い先のことかもしれない。まだ関係ないという顔をしていてもいずれはやってくること。色々とあると思うけれども、一番の問題はおそらく実家が空き家になった場合どうするか。売れればいいけどそう簡単に済む問題でもなさそうかなと思ってる。

姉夫婦もあと数年すればこの家から出ていく。
もし近々僕が死んだ時のことをなんとなく考えてみる。死んだ直後の問題としてまずお葬式代がかかる。親父の時を参考に家族葬とすればさほどかからないが、とは言っても50万~60万くらいはかかった記憶がある。小規模でこのくらいなので、一般の人で普通の葬式をするならば百万以上は間違いなくかかるはず。盛大にやるならばそれ以上だろう。なので金銭的負担をかけないためにも葬式費用は何としてでも残しておかなくてはならないなと思う。
そしてお墓の管理。おそらく姉がすることになるだろう。僕ははっきり言ってお墓は不要だと考えている。暴論だけれどもこの世にいないものにお金をかけても仕方のないことだと、法事の時などいつも思う。気持ち云々言うなら仏壇で十分だ。そうは言ってもお墓をなくすことは親戚の目や世間体を気にするならば無理に等しいと思う。ちなみに僕は海への散骨を希望してる。
さて一番の問題である家の管理は誰がするのか。これも姉になってしまうだろう。空き家の問題、とにかく管理費がかかること。まず固定資産税。おそらくこれが一番の問題である。ただ立ってるだけで税金は取られていくのだ。じゃあ更地にしてしまえば?と思っても、そうしてしまえば固定資産税が更に高くなる上、解体費用もかかる。なんで誰も住んででないのに家を壊さないんだろうっての思うのはこういうことなんですね。幸い元の仕事場(倉庫)を貸しているので固定資産税をまかないつつも収入を得ている状況なのでだいぶ助かっている。いつまで相手が契約を結ぶのかは分からないが、続けば姉にとっても所得が入るので良いだろう。
次の問題として手入れの問題。福島の原発避難区域を見ればわかるけれどもとにかく人間が住んでいなければ雑草が生えっぱなしになる。僕も昨日雑草や木の手入れをしたが結構な労力だだった。久々の運動?で全身筋肉痛という。虫もうじゃうじゃで危うくハチにも襲われるところだった。他にインフラ関係。電気ガスは止めてしまえば問題ないけれども水道は止めてしまうと水道管がすぐに錆びいてしまうじゃないかなと。定かではないけれども実体験として。それに自然災害だとか築年数が古い家ならばいろいろなところもガタが来ているはずなので修繕費用もかかる。手入れをされていないとなれば誰も住んでいないということはある程度想像できるので、今度は空き巣なんかの治安の問題も発生してくるわけだ。
その他の問題として家財の処分もバカにならない。一度今の家の中身を業者さんにお願いして空にした。じいちゃんばあちゃんそして両親分の荷物があったのでさすがに姉弟2人ではどうにもならなかった。(案外衣類関係はバカにならなかった)。僕一人分とはいえど、これを全部処分するのは大変だろうし金もかかる。なので死ぬ前までにはのなかで必要最小限の処理はしておきたい。HDDは絶対に壊しておかないと中のエロファイルを見られては困るからね。
それから通帳の事前解約。父親の時に思ったけれども通帳残高をおろすとなると、書類手続きが非常に面倒くさかったので通帳にお金を残して置きたくはない(おろしたお金をどこに保管しておくのが大問題だけれども)。
残される方の身を考えると出来る限り面倒くさいことは残して置きたくないので生前に考えられる範囲の出来る処理は全部して置くべきだと思ってる。

それと働き始めたら生命保険に入っておこうと考えている。おそらく日々の暮らしと奨学金の返済で精一杯で、死後のためのお金(葬式代だとか管理費だとか)を残せるかどうか非常に心配だからだ。自分にできることってそれぐらいだと思う。
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唐揚げ揚げる

久々に唐揚げを揚げてみました。何年ぶりに揚げ物をしたかわからない。油の処理が面倒だからって理由だけで一人暮らしの人間は幾度やらないだろう。でもスーパーの揚げ物なんて衣ばかりで食えるかっていう話。半額シールや見た目でつられちゃいけない。金払ってほぼ衣食ってる時の惨めさって行ったら・・・。自分で材料買ってきて作ったほうががいい。安い物ってやっぱ安いなりなんだよ。
日清製粉のから揚げ粉。すごく懐かしい味。下手に唐揚げ買ってくるならこれで作ったほうがはるかに美味しい。幼稚園の頃から弁当に入ってた、随分昔から食べ慣れてきた味だと思う。体にいいか悪いかわからない、でも美味い。味覚って変わるけれども変わらないものは変わらない。

揚げたあとの油は使う前の澄んだんだ色とは対照的に黄色く濁っている。まるで朝市のションベンみたいな濃い色。から揚げ粉の臭いがぷんぷん漂う。品質劣化、いずれはこの油も捨てることになるんだろう。そうなりゃただの廃油。今の僕もきっとこの油と同じように酸化しきってるだろう。悲しいよね全く。
ほんと、大人になるってなんだろうね。 大人、そう言われるとまだ違和感がある。精神年齢なんて中学生か高校生のままで止まってる。大人らしさ、それっぽく振る舞って演技すること。皆仮面かぶって踊ってる。「大人の男」「大人の女」。一見かっこ良く見えるしかっこ良く聞こえる。少年少女の憧れ。でもそんないいもんんでもない。ちんちんまんまんの機能が発達しただけ。なりたいではなく気づいたらなってしまうもの。そしてあっという間にじじいばばあだよ。

「誰だって悩みはある。」誰かがそう言うかもしれない。そんなことわかってるけれども、あなたの苦しみなんて僕にはわからないし、僕の苦しみはあなたはわからない。あなたの悩みが目の前に障害物があるだけならば、僕の悩みはそれ以前にわき道からそれた挙句、ガードレール突き破って行っちゃいけない方へ行ってしまったそんな感じ。障害物なんてどかせばまた道は続いているのだから、また走りだせばいい。でも落ちちゃったらどうしようもないじゃん。解決しようがないのよ。そんな感じ。簡単にわかったふりなんてしちゃいけない。優しい言葉で近づいて、さも理解してるかのようなふりをしちゃいけない。

唐揚げ食いすぎて胃もたれっすね。この前市場で国産鶏もも肉2kgが八百いくらで買えたはずなのに、一昨日買ったら2倍になってたという。おっさんレジ打ち間違えたんじゃないのか?僕が値札ちゃんと確認しなかったが悪かったが、一回レジ通したら断るにも断りにくよねえ。

だるいね

かったるいよ。だるいよだるい。
生きるのってほんとだるいと思うよ。常に走り続けなければいけない。走るのをやめてしまったら置いて行かれる、ただそれだけ。「長い人生だから時にたちどまっていいよ」そうは言うけど、3割正しくて7割正しくない。養ってもらっているうちはそれでもいいのかもしれない。だって養ってもらってるんだからお金の心配なんてする必要なんてない。自活せざるをえなくなれば、立ち止まってる時間が長くなればなるほどそれが致命傷になるだけ。経済的的圧力もとてつもなく大きい。生活費、奨学金、年金、健康保険・・・。

朝から姉の子どもたちの鳴き声が家中に響き渡る。「子供が泣くのは仕事」、子供が泣くの仕方ないけど決して仕事ではない。素直にうるせーなと思う。「ママ、ママ」と愛情と安心を求める。そんなママは子供の絶対神だろう。パパでは決して越えられない壁。それまで与えられたものに満足していたはずが、最近はそんな大好きなママにも反抗する態度を見せるようになってきた。彼らには悩みなんてないし、生きることに必死になってるわけでもない。ただ自分の欲求に忠実に生きている。それが子供。欲求が通らなくなれば泣き叫ぶ、それだけ。

先日久しぶりにばあさんの家に行ってきた。部屋の電球ががチカチカしてるから変えてくれと。年をとったら体が思うように動かなくなる。僕には全く想像ができない。目が悪くなってる実感はあるけれども。足も悪いので長時間歩くことができない。一日中テレビ見てゴロンとしてる。「すごく暇そう」これが率直な感想、これが老後の生活ってやつですか。じいさんは相変わらず介護施設。倒れなかったら今頃ばあさんとこの部屋でテレビ見てゴロンしてたんだろうか。こんな生活が当たり前になってきてるので元気な時の爺さんの姿が思い出せない。
たまに「とっとと死にたいよ」と本気が冗談かわからんけど口にしてくる。僕も「生きてるのがかったるいからとっとと死にたいよ」と口にする。高校卒業時、担任が言ってた「いいか、死ぬ順番だけは絶対守れよ」と言ってた。先生や親より先に死ぬなって。もう親は死んでるから別に構わんが、ばあさんより僕が先に死んだら悲しむだろうなと思う。長生きすれば金もかかる、体もぼろぼろになる。若いうちに、元気なうちに死にたいと思うのは何も特別なことではない。自然なことであると思う。

昨日、秋葉原で事件を起こした加藤の弟が自殺していたという記事を読んだ。「死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。」読んでいたら悲しくなったよ。被害者家族も苦しい、しかしそれと同じくらい加害者家族も苦しい。この国の人間は事件を起こした本人とは全く関係ない家族まで犯罪者扱いをするのですか。家族は連帯責任ってことなんですか。子が起こした犯罪は親の責任ですか?いいえ、子の責任です。兄が起こした犯罪は弟の責任なんでしょうか?いいえ、兄の責任です。そういえば不祥事を起こした野球部が甲子園や、重要な大会を辞退するしてるのは恒例行事。これも連帯責任ってやつですか、アホらしい。経済だけ先進国であって思想は後進国。野蛮な国民だとお思うよ。自殺に追い込んだ犯人は日本人です、この国の国民です。事件が起こるたび、律儀で真面目な国民は正義の仮面をかぶった殺人者集団になるんだよ。今日も誰かが追い詰められて殺されるんだろうか。

「あの会社で働きたいな」「結婚して、息子と虫取りに行って・・・」中学生の頃なんとなくそんなこと思ってたけど、そんなのただの妄想に過ぎなかった。学力も学歴も結局足りてない。そして今や落ち目の業界、そして会社。それが現実。彼女できるかななんて思い描いていた大学入学当時。なんだかんだで気づけば何もないまま終了。それが現実。「結婚に焦るアラサー女子」。お見合い番組に自衛隊の人間が出てる始末。40代の未婚。これが現実。彼女作るのだって結婚だって本当に望まなければできないと思う。ベルトコンベアーのように向こうから自動的にやってくるわけない。「○○なら彼女できそうなのにー」よく言われた言葉。結局本気で望まなかったからできなかったんだろう。結婚したいかと言われたら別にしたいとは思えない。

かったるいよ。だるいよだるい。
こんなこと言ってはダメですか?怠けてる人間の言う事なんですか?いいえ、みんな口にしないだけでそれが人間の本質だと思ってる。僕は生憎強いハートも、メンタルもあるわけでもないのでね。土日はみんな休みだから気分が楽。でも明日からまた平日。5日もしくは6日働いたらまた土日。それの何回も繰り返し。日常なんてそんなもの。ドラマのような展開を望んでるのは恋に恋する少女のようなもの。画面に映し出される光景はは日常を継ぎ接ぎしたものにすぎない。
仕事、結局雇われの身であればどこで働いたって本質は変わらない。いかに我慢できるか、どこまで自分を捨てられるか。給料とその他待遇が違うだけで会社ってそんなもんだと思う。自分で金を稼げる力がないのなら組織に従うだけ。
最近やっぱり普通に働こうかとも考えている。無論就職先があればの話。もう言ってることがコロコロ変わるのが僕という人間。ほんと、生きるのってかったるいんですよ。外野がくっそうるさいのでどういう生き方しても、どういう思想でも常に監視の目、そして批判が入るのですよ。
かったるい、だるい。そう連呼してもいいじゃない

本当はね

今日は親父の三回忌。とにかく時間の流れは早くて来月で丸二年を迎える事になる。生きていれば62歳。
それにしても法事というものは実に面倒くさい、いや、親戚付き合いか。周りは40後半~50代の大人たちしかいない。親父のポジションを若象の僕が担当しているのだから凄く面倒くさいよ。やりにくい。まあ10人ほどだったが。小さい頃は「おじちゃん、おばちゃん」なんて言ってたけど今は面倒くさい存在でしかない。

法事の後飯を食べに行った。僕が受験に失敗したことに対して、というより今年で26にもなるのに定職につかず、いまだふらふら状態である事に対してあーだこーだと言われた。せっかくの飯がクソ不味く感じて帰りたかったよ。僕はどうやら「年相応」の人間ではないようなのだ。
「誰も言ってくれる人がいないからあえて言うけどさ」「今年26になるんだろ?どーすんだ」「学校でたら30だぞ」「皆より出遅れてんだぞ」おじさんたちは思いつくままに、それが容赦なく僕の心に突き刺さる。まあ余計な御世話だと。

確かにごもっともな言葉かもしれない。僕がいまだにふらふら漂流し続けてるのは自分でもわかってるし、まずいなあとは思ってる。新卒で一斉スタートの同年代と比べ出遅れてるし、時間も無駄にしてる。今時のどうしようもない若者の一人としてその印を押されるんだろう。ただ今この場で、皆のいる前で言うべきことではないことだし、わざわざそんな事言う必要もない。自分自身が一番わかってるけどその中でもがいているんだよ。過保護みたいに、結局大人ではあるが僕は未だに子供として見られているんだろう。
おじさんたちはずっと同じ企業で勤めててそれなりの役職にも就いてて所謂典型的な昭和の人間。ベルトコンベアーに乗って豊かな時代を生きてきてあと数年働けば定年迎えてその後優雅に年金生活。人生経験は豊富だろうが皆社会的価値観が同じ。年相応でなければどうしようもない奴だと吐き捨てられる。僕ら今の若者の事なんて分かってくれないし、僕がいくら言おうが長幼の序が重んじられてるので、若象の言葉は言って聞き入れてもらえない。反抗すれば「失礼な奴だなと」たんに切り捨てられるだけ。
それと「介護士?ん看護師?」よく聞き直される。介護士の人には悪いけれど介護職なんてやりたくない。看護師だって別に夢でもないしやりたい事でもないんだよ。あくまで仕事として選んだだけだよ。たぶん看護師というものが大変な職業だってことがわかってるので僕には向いていないってことも言いたいと思ってるんだろう。僕もかなり思ってるんだけどね。他の医療職も考えたが受験やらなんやら、家から離れるとなるとなかなか難しいところ。
民間に就職できるならしたいとは思うけど、そんな簡単に未経験の人間を雇ってくれるようなところが少ないのが現状なんだよ。新卒3年制度はどうやら今年いっぱい使えるようだけど、結局のところ企業的には既卒扱いだろう。僕は結局選べる側ではないんだって。もうできる仕事も限られてる。

夕方、以前の職場の人から電話がかかってきて、他の人達とも喋ったけど相変わらず元気そうだった。辞めてからあっという間に半年経ったけど、なんか昨日様な感覚だったと思う。そう思うのは、やっぱりみな仲が良かったからなんだろう。電話きったあと何処地なく寂しい気持ちになった。


実はね、補欠合格という形で最終的に合格したようなんだけど蹴ってしまたよ。周りの人間に誰一人言っていない。そのまま受験に失敗したということで通してる。結局本当に納得行ってないのかいざとなって迷ってしまった。僕はホームラン級のバカなんだろうねきっと。僕がダメ人間であることは認める。芯の無い人間であることも認める。この5月以降の26歳という一年間はどうなるんだろうか。とりあえず来月からバイトしようと思う。

それでも朝はやってくる

朝を迎えるのがとても憂鬱な毎日。「ああ、今日がやってきたのか」と、仕事をしていた時とはまた違っただるさ。ほんの一ヶ月ちょいと前までは6時か7時に起きていたのが今じゃ9時10時は当たり前。皆がとっくに活動している時間にのこのこ起きるのだからほんと気楽なもんだなあとつくづく思う。ふとカレンダーを見ると赤の×印で埋まってる。もう2月も残り一週間、×印がついてない日付を数えるほうが早くなった。

久々に筋トレをやろうと思って50キロのバーベルかついでスクワットをしてみた。15回やったところでめまい、モモの付け根あたりがつりそうになる。頭だけではなくて体まで朽ち果てていた。
夕方、まだ明るいうちに風呂に入る。そう言えば最近日もだいぶ長くなったもんだと思う。まだ寒いとは言え徐々に夏に向かっているんだあと。その前に春だけれども。浴槽から明るい外を眺める。小学生のときもこんな光景を見たことあったけなと思う。

この一ヶ月弱とにかく無気力な状態が続いてる。この間何したのかよく覚えていないし、昨日何したとかあんまり記憶がない。何と言うか毎日に飽きている。でも特に何をするわけでもない。僕のイグナイターは一体いつ作動するんだろうか。目的の無い一日というのは実に早く過ぎて実に虚しい。刺激の無い毎日は心の弾力を失わせていくだけ。不安は心をむしばみ、目標の無い人生は無力感で満たされる。無駄な時間とわかりつつも、若い貴重な時間なのにもたいないなと思いつつも、どこか目に見えない不可抗力が心に働いてる。
僕はオリンピック選手ではないのでナンバー1を目指しているわけではない。競争世界にいるのは同じだが決して勝負の世界にいるわけでい。絶対的な信念も目標もいまいちない。自分がこうありたいなと思っても、4年先のあまりにも不明確な輪郭を描こうにも描けない。4年ってすごく長いと思う。大学に入ったら卒業出来てしまうんだから。受ける教育と職業が一致している人ならまだしも、それ以外そんな先の自分を明確に描ける人なんてごく一部だろう。ましてや自分がどこにいるのかさえよくわかってない宙に浮いた人間達も似たようなもんだろう。
選手は結果を出せなくても引退してもその後の職はあるのだろうけれども、僕は凡人なので何かしら結果を出さなければそれでおしまい。それはそれは、もう恐ろしい暗闇が待っているだけ。
結局自分は人生になにを求めておるんだろうかと、暇人ならではの悩みを抱える。そして今日が終わる。寝たら明日を迎えることなく死んでたらどんなに楽なんだろうかと。でも残念ながら明日はやってきてしまうのだね。